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飯食い祭り=高森町。各集落の接待客は、大盛りのご飯を腹いっぱいおかわりして食べる。そして代表選手となるので子供たちの声援で大賑わい。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和59年12月10日
撮影:1984年12月
飯食い祭り=高森町。各集落の接待客は、大盛りのご飯を腹いっぱいおかわりし
飯食い祭り=高森町。祭りのために、高さ30cm直径15cmの「大塔飯」が作られる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和59年12月10日
撮影:1984年12月
飯食い祭り=高森町。祭りのために、高さ30cm直径15cmの「大塔飯」が
飯食い祭り=高森町。色見地区には4つの集落がある。この日は、山鳥が接待役で昼から男ばかりで料理した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和59年12月10日
撮影:1984年12月
飯食い祭り=高森町。色見地区には4つの集落がある。この日は、山鳥が接待役
飯食い祭り=高森町。350年の歴史をもつ伝統行事。秋の収穫が終わり、新米を持ち寄って貴重な白米をたらふく食べ、翌年の豊作を願ったのが起源と云う。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和59年12月10日
撮影:1984年12月
飯食い祭り=高森町。350年の歴史をもつ伝統行事。秋の収穫が終わり、新米
通学船=坂本村。小学校のある球磨川右岸の段地区まで役場の今泉丸が送迎していた。しかし風の強い日や洪水の時は、上下流の橋を経て父兄が車で送った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和59年11月06日
撮影:1984年11月
通学船=坂本村。小学校のある球磨川右岸の段地区まで役場の今泉丸が送迎して
弓道の練習。八代弓道連盟・夏期講習が夕葉橋下の球磨川右岸で、昼の人通りがない時間に弓を引いて練習に励んだ=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和59年07月11日
撮影:1984年7月
弓道の練習=八代市
五木村役場。湖底に沈むふるさととして有名になり、どんな所かと訪れる人が多くなった。「 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和58年09月02日
撮影:1983年9月
五木村役場。湖底に沈むふるさととして有名になり、どんな所かと訪れる人が多
五木村役場前の林業振興の看板。山の荒廃を見かねて「山は泣いている。あなたを待っている。さあ光を入れよう。明るさとたくましさを蘇らせよう」と看板がたてられた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和58年09月02日
撮影:1983年9月
五木村役場前の林業振興の看板。山の荒廃を見かねて「山は泣いている。あなた
仮装行列=水俣市。みなと祭りや神社の秋祭りには、カヌー競漕や相撲大会や神行行列があり、市内のいろんな企業が参加する仮装行列で盛り上がる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和58年07月21日
撮影:1983年7月
仮装行列=水俣市。みなと祭りや神社の秋祭りには、カヌー競漕や相撲大会
五木村の桑原商店。中心地の当時地区にあり、衣料、はきものなどの日用品がなんでも揃い、いつも繁盛。客足が途絶えなかった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和58年04月08日
撮影:1983年4月
五木村の桑原商店。中心地の当時地区にあり、衣料、はきものなどの日用品がな
日奈久のちくわ焼き=八代市。温泉神社の春まつりのアトラクションに日奈久名物竹輪つくりが行われ、各人が3本ずつ炭火で焼き、おいしい香りが境内にただよった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和58年04月03日
撮影:1983年4月
日奈久のちくわ焼き=八代市。温泉神社の春まつりのアトラクションに日奈久名
どんどや=八代市。正月が終わり、毎年7日には校区でどんど焼きが行われた。直径4~5メートル、高さ6メートル位の竹組に正月の飾り物を焼き、その火で餅を焼いて食べた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和58年01月07日
撮影:1983年1月
どんどや=八代市。正月が終わり、毎年7日には校区でどんど焼きが行われた。
五木村の加藤食堂。椎茸や地鶏が入ったうどんや五木豆腐、ホルモンの味を思い出す。国道445、県道15号の交通標識は今も健在 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和57年11月08日
撮影:1982年11月
五木村の加藤食堂。椎茸や地鶏が入ったうどんや五木豆腐、ホルモンの味を思い
日奈久温泉神社の神幸行列=八代市。温泉神社の神幸行列に子供たちの魚みこしも加わり、元気に町内を練り歩いた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和57年10月15日
撮影:1982年10月
日奈久温泉神社の神幸行列=八代市。温泉神社の神幸行列に子供たちの魚みこし
熊本市役所新庁舎落成式=熊本市手取本町 撮影日:昭和56年11月04日
撮影:1981年11月
掲載日:2012-03-31
熊本市役所新庁舎落成式 建物外観=熊本市。昭和56年