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芋洗い=相良村。桶に里芋と川の水を入れ、洗濯板のような平板を使ってかき廻
芋洗い=相良村。桶に里芋と川の水を入れ、洗濯板のような平板を使ってかき廻し、約10分すると里芋についた泥と皮がきれいになくなっていた。なつかしい農村の風物詩である。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年12月20日

撮影:1950年12月

芋洗い=相良村。桶に里芋と川の水を入れ、洗濯板のような平板を使ってかき廻

大根運び=高森町。正月用に出荷する大根を牛の背に積み、家路を急ぐ農夫は笑
大根運び=高森町。正月用に出荷する大根を牛の背に積み、家路を急ぐ農夫は笑いながら話しかけた。農村ののんびりした原風景だった。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年12月01日

撮影:1950年12月

大根運び=高森町。正月用に出荷する大根を牛の背に積み、家路を急ぐ農夫は笑

牛の背に揺られて=高森町。舗装もない山道はでこぼこしていた。町へ出掛ける
牛の背に揺られて=高森町。舗装もない山道はでこぼこしていた。町へ出掛けるときは家族で。先頭は父か兄で数頭の牛や馬の鞍に綱をつなぎ幼い子どもも上手に鞍にまたがり乗りこなしていた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年11月01日

撮影:1950年11月

牛の背に揺られて=高森町。舗装もない山道はでこぼこしていた。町へ出掛ける

丸木橋=球磨村。直径10センチ位の丸太4~5本を針金で結束してある
丸木橋=球磨村。直径10センチ位の丸太4~5本を針金で結束し、石を詰めた蛇籠を橋台にして渡した丸木橋。住民は、滑らないように注意しながら渡った (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年10月25日

撮影:1950年10月

丸木橋=球磨村。直径10センチ位の丸太4~5本を針金で結束してある

温泉情緒=八代市日奈久。芝居か映画で見るような角付け姿は、日奈久の路地風
温泉情緒=八代市日奈久。芝居か映画で見るような角付け姿は、日奈久の路地風景で温泉町の情緒があった (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年10月15日

撮影:1950年10月

温泉情緒=八代市日奈久。芝居か映画で見るような角付け姿は、日奈久の路地風

本湯(御前湯)=八代市。日奈久温泉は江戸時代初期から細川藩営の由緒ある温
本湯(御前湯)=八代市。日奈久温泉は江戸時代初期から細川藩営の由緒ある温泉。殿様の「御前湯」、武士の「お次湯」、平民の「平湯」に区別された。明治以降は開放され本湯温泉センターになった (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年07月28日

撮影:1950年7月

本湯(御前湯)=八代市。日奈久温泉は江戸時代初期から細川藩営の由緒ある温

牛ならし=高森町
牛ならし=高森町。朝起き、顔洗い、「牛ならし」と小学校に行くまでの少年たちは親からしつけられた。少年がならされている畜産農家ならではの日常風景である (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年07月05日

撮影:1950年7月

牛ならし=高森町

洪水=八代市。球磨川の荻原橋を渡り、高田方面に行く道路は、八代で雨が降ら
洪水=八代市。球磨川の荻原橋を渡り、高田方面に行く道路は、八代で雨が降らなくても上流に雨が降るとすぐ増水し通行者はズボンをまくり、用心しながら渡る国道3号だった。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年06月27日

撮影:1950年6月

洪水=八代市。球磨川の荻原橋を渡り、高田方面に行く道路は、八代で雨が降ら

沈み橋(清水橋)=八代市
沈み橋(清水橋)=八代市。旧萩原橋を渡り、高田記念碑前に通じる道は上流で雨が多く降るとすぐ冠水するので、「清水橋」という名前があるが、当時「沈み橋」と呼ばれた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年06月25日

撮影:1950年6月

沈み橋(清水橋)=八代市

下校中の洪水=八代市。植柳橋は洪水でこわれて渡れず、川の中の道も雨が降る
下校中の洪水=八代市。植柳橋は洪水でこわれて渡れず、川の中の道も雨が降ると渡れなくなる。男の子が浅い場所を下校で困る女学生に教えた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年06月21日

撮影:1950年6月

下校中の洪水=八代市。植柳橋は洪水でこわれて渡れず、川の中の道も雨が降る

公役の川さらえ=八代市。球磨川から引いた用水路を田植え前に「イデさらえ」
公役の川さらえ=八代市。球磨川から引いた用水路を田植え前に「イデさらえ」という川掃除の公役(苦役)が伝承されていた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年05月01日

撮影:1950年5月

公役の川さらえ=八代市。球磨川から引いた用水路を田植え前に「イデさらえ」

石投げ=八代市
石投げ=八代市。球磨川の急流で角のとれた石は、投げても遠くに飛び、川原は子供たちのいい遊び場だった (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年04月10日

撮影:1950年4月

石投げ=八代市

あっ痛い。手刈りバリカン=八代市。手刈りのバリカンは片手で刈るので手の動
あっ痛い。手刈りバリカン=八代市。手刈りのバリカンは片手で刈るので手の動きと髪を刈る速度のタイミングが難しい。兄の腕前に、おもわず「痛い」と弟。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年04月05日

撮影:1950年4月

あっ痛い。手刈りバリカン=八代市。手刈りのバリカンは片手で刈るので手の動

手刈りのバリカン=八代市
手刈りのバリカン=八代市。手刈りのバリカンは片手で刈るので動かしながら進むタイミングが難しい。手際良くできない、下手な兄と弟の散髪風景 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年04月05日

撮影:1950年4月

手刈りのバリカン=八代市

石投げ=八代市。現在旭中央通や緑町一帯は野上の川原だった。男の子は手頃な
石投げ=八代市。現在旭中央通や緑町一帯は野上の川原だった。男の子は手頃な石で遊び、空腹になると桑の実を食べた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年04月01日

撮影:1950年4月

石投げ=八代市。現在旭中央通や緑町一帯は野上の川原だった。男の子は手頃な

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