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金剛干拓の試作田。農林省検査官が「砂質で除塩や沈下も少なく良好な土地」と評した=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年07月01日
撮影:1956年7月
金剛干拓の試作田=八代市
季節保育園=八代市八千把。農家では田植えや稲刈りなどの農繁期には幼児の世話に困る。近くのお寺で「季節保育園」をつくって手助けした。時々昼食後田んぼに行って遊んだ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年06月16日
撮影:1956年6月
季節保育園=八代市八千把。農家では田植えや稲刈りなどの農繁期には幼児の世
下駄を持つ子ども=八代市。下駄を持って、はだしで歩く子ども (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年06月07日
撮影:1956年6月
下駄を持つ子ども=八代市。下駄を持って、はだしで歩く子ども (麦島勝氏撮
自転車と脱げた下駄=八代市。自転車に乗った人が落としたげたを拾ってやる子ども。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年06月07日
撮影:1956年6月
自転車と脱げた下駄=八代市。自転車に乗った人が落としたげたを拾ってやる子
峠の茶屋=熊本市。店先にぶら下がったわらじが、昔の名残を思わせる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年05月01日
撮影:1956年5月
峠の茶屋=熊本市。店先にぶら下がったわらじが、昔の名残を思わせる。 (麦
2ふな取り祭り。風呂屋前で大騒ぎ=鏡町。この日は同町の風呂屋は無料サービスだが、まだ池で暴れたいという若者も出て大騒ぎ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年04月07日
撮影:1956年4月
2ふな取り祭り。風呂屋前で大騒ぎ=鏡町。この日は同町の風呂屋は無料サービ
金剛干拓の井戸掘り。地盤の堅い井戸掘りは発動機を使用し、高さを利用してパイプを打設した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年04月06日
撮影:1956年4月
金剛干拓の井戸掘り=八代市
リヤカーに乗って野良帰り=益城町。春まだ寒い野良帰り。肥料や農具と同じリヤカーだが子どもたちは楽しそう (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年03月21日
撮影:1956年3月
リヤカーに乗って野良帰り=益城町。春まだ寒い野良帰り。肥料や農具と同じリ
金剛干拓の井戸掘り。地盤の堅い場所では竹車に巻いた綱に取り付けた突棒の反動を利用してパイプを打ち込んだ=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年03月03日
撮影:1956年3月
金剛干拓の井戸掘り=八代市
タイヤ遊び=相良村。近くのトラック置き場からタイヤを持ち出して、タイヤ競争をする元気な少年たち。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年02月11日
撮影:1956年2月
タイヤ遊び=相良村。近くのトラック置き場からタイヤを持ち出して、タイヤ競
天草の暮らし=河浦町。美しい崎津の海岸が近くの道で、通行人に好々爺が語りかけてきた。洗濯するおばあさんの姿もなつかしい (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年02月05日
撮影:1956年2月
天草の暮らし=河浦町。美しい崎津の海岸が近く
金剛干拓の住宅建設。地区内の道路もいまだ整備されておらず、用排水も未完成で一雨降れば一面水浸しだった=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年01月01日
撮影:1956年1月
金剛干拓の住宅建設=八代市
金剛干拓の住宅建設。大工・左官・鉄工など各工程が忙しく農作業のヒマはない。田んぼでの作業や洗濯などは同時に進んでいた=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年01月01日
撮影:1956年1月
金剛干拓の住宅建設=八代市
金剛干拓の住宅建設。宅地はいつも水がたまっていたのでゴムタイヤにロープをつけ運んだりした。「飲み水」は良質な水が湧いていたのが幸いだった=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年01月01日
撮影:1956年1月
金剛干拓の住宅建設=八代市
道しるべ=八代市。現在、旭中央通りや、ハーモニーホールの南西部にあるこの石碑の前も川だった。川が道路に変わっても、石の道しるべは一部損傷しながらも残っている (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年12月05日
撮影:1955年12月
道しるべ=八代市