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用排水路が未完成で田植期を迎え、一雨も降れば水田は泥沼と化した。冠水したまま、10日も日照りが続くと今度は干上がった=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年05月01日
撮影:1957年5月
用排水路が未完成で田植期を迎え、一雨も降れば水田は泥沼=八代市
足踏み水車=八代市。電気配線も工事中で木製の足踏み水車 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年05月01日
撮影:1957年5月
足踏み水車=八代市。電気配線も工事中で木製の足踏み水車 (麦島勝氏撮影)
農家の夕餉の支度=八代市。干拓地に入植し、台所が間に合わず庭先での炊事 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年05月01日
撮影:1957年5月
農家の夕餉の支度=八代市。干拓地に入植し、台所が間に合わず庭先での炊事
馬車通学=芦北町。カッパカッパ蹄の音も高らかな馬車の荷台に乗り、登校する小学生。道々で飛び乗るのですぐ満席になった。女生徒は恥ずかしいといい乗らなかった様だ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年04月17日
撮影:1957年4月
馬車通学=芦北町。カッパカッパ蹄の音も高らかな馬車の荷台に乗り、登校する
井戸掘りと思われる。建物の土台やくい打ちには知人、友人、近所の人が来て作業する。昔ながらの肩を寄せ合う生活風景=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年04月05日
撮影:1957年4月
井戸掘りと思われる=八代市
メジロ競鳴会=八代市。早春の球磨川沿いの原っぱでは、めじろの鳴き合わせが始まる。飼い主は竹笛で調教しかわいがっている (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年02月12日
撮影:1957年2月
メジロ競鳴会=八代市。早春の球磨川沿いの原っぱでのめじろの鳴き合わせ
婚礼の旅立ち=八代市。結婚式に行く前に近所の家々に挨拶廻りし、近所の人々は「美しい」「おめでとう」と祝って送る。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年02月05日
撮影:1957年2月
婚礼の旅立ち=八代市。結婚式に行く前に近所の家々に挨拶廻りし、近所の人々
瓦運び。住宅造りの資材運びで瓦やコンクリートブロックなど水でぬれてもよい品物はいいが、セメント袋の運搬は地面がいつも水浸しで苦労していた=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年01月01日
撮影:1957年1月
瓦運び。住宅造りの資材運びで瓦やコンクリートブロックなど水でぬれてもよい
金剛干拓の住宅建設。入植農家は入植講習などを経て選定され、1戸あたり1町6万が配分された。昭和31年12月から新年にかけて住宅の建設が始まった=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年12月01日
撮影:1956年12月
金剛干拓の住宅建設=八代市
アルマイトの弁当箱を持って昼食。作業員はヘルメットや安全対策がなくても不満も漏らさずに頑張っていた=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年11月06日
撮影:1956年11月
アルマイトの弁当箱を持って昼食=八代市の金剛干拓
にんじん洗い=八代市。今は八代の幹線道路になっている旭中央通りは、野上の原っぱで畑や牧場、せせらぎの水も流れて大根や人参も洗って出荷した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年10月24日
撮影:1956年10月
にんじん洗い=八代市。今は八代の幹線道路になっている旭中央通りは、野上の
木炭バス故障=高森町。職場のレクリエーション、高千穂旅行でエンジントラブルが発生。木炭ガスが燃料で、坂道が多い路線のため乗客が心配そうに眺めていた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年10月12日
撮影:1956年10月
木炭バス故障=高森町。職場のレクリエーション、高千穂旅行でエンジントラブ
旧植柳橋=八代市。八代市内から日奈久、水俣方面への行き来に重要な役割を果たす「植柳橋」。明治、大正時代から洪水の度に破損した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年08月26日
撮影:1956年8月
旧植柳橋=八代市。八代市内から日奈久、水俣方面への行き来に重要な役割を果
夏の街角=熊本市。何の変哲もない町のスナップだが大学生の角帽子、小学生の白帽や女性たちの服装、店の看板や建物を見ても当時の記憶として残る (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年08月13日
撮影:1956年8月
夏の街角=熊本市。何の変哲もない町のスナップだが大学生の角帽子、小学生の
若宮海水浴場=水澄町。八代の蛇籠港から「ポンポン船」で戸馳島まで出かけ、海水浴場で泳ぎ、砂の上で「スイカ」割りを楽しんだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年08月11日
撮影:1956年8月
若宮海水浴場=水澄町。八代の蛇籠港から「ポンポン船」で戸馳島まで出かけ、