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植柳橋補修=八代市。球磨川は流域の暮らしを助けているが、洪水時には「暴れ川」となり橋が流され交通も寸断された。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年10月18日
撮影:1957年10月
植柳橋補修=八代市。球磨川は流域の暮らしを助けているが、洪水時には「暴れ
地蔵祭り=八代市。いつも地蔵さんは子供の安全を守っている。そんな優しいお地蔵さんを各地方の子供たちは夏休みの終わろうとする8月23、24日はお供え物をあげてお祭りする (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月24日
撮影:1957年8月
地蔵祭り=八代市。いつも地蔵さんは子供の安全を守っている。そんな優しいお
フカ狩り。海と空から浜辺いっぱいの観客と網を引く漁夫を撮影するカメラマン=苓北町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月07日
撮影:1957年8月
フカ狩り=苓北町
シャク堀り=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月25日
撮影:1957年7月
シャク堀り=八代市
撮影会・水着のモデル=熊本市八景水谷。水着姿のモデルさんを撮るカメラマンの後ろ姿はユーモラスでお尻がぬれないかなと思われシャッターを押した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月15日
撮影:1957年7月
撮影会・水着のモデル=熊本市八景水谷。水着姿のモデルさんを撮るカメラマン
撮影会・芸者さん=熊本市。写真撮影会が八景水谷公園で行われた。当時のモデルさんは丸髷姿の芸者さんもいた。県内で第1回目の撮影会であった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月15日
撮影:1957年7月
撮影会・芸者さん=熊本市。写真撮影会が八景水谷公園で行われた。当時のモデ
客馬車の馬にエサやり・金剛干拓=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月01日
撮影:1957年7月
客馬車の馬にエサやり・金剛干拓=八代市 (麦島勝氏撮影)
金剛干拓の客馬車。客馬車は県道を走る定期バスと接続し、利用者にも好評だった。当時、新聞、テレビでも紹介され、遠いところから乗りに来る人もあった=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月01日
撮影:1957年7月
金剛干拓の客馬車=八代市
金剛干拓の客馬車。日奈久町の観光馬車を譲り受け、干拓地を走っていた=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月01日
撮影:1957年7月
金剛干拓の客馬車=八代市
金剛干拓の客馬車。高植本町北区の出発から弥次の分校前を過ぎると直線コースで干拓入口に到着。馬車はひづめの音も軽やかに走った=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月01日
撮影:1957年7月
金剛干拓の客馬車=八代市
入植以来、初めての田植え。牛馬を持っている農家が各区の田を代かきした=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年06月20日
撮影:1957年6月
入植以来、初めての田植え=八代市の金剛干拓
雨で冠水した水田で、水車を使って排水=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年06月20日
撮影:1957年6月
雨で冠水した水田で、水車を使って排水=八代市の金剛干拓
金剛干拓の鍬入り式があった午後は、仮設舞台や土俵で「肥後にわか」や女相撲が行われた=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年06月18日
撮影:1957年6月
金剛干拓の鍬入り式後は、仮設舞台や土俵で「肥後にわか」や女相撲
炊事場て夕食の米を洗う主婦=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年06月01日
撮影:1957年6月
炊事場で夕食の米を洗う主婦=八代市の金剛干拓
金剛干拓の住宅=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年06月01日
撮影:1957年6月
金剛干拓の住宅=八代市 (麦島勝氏撮影)