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田崎付近の下りC57 (中村弘之氏撮影) 撮影日:昭和34年03月
撮影:1959年2月
田崎付近の下りC57 (中村弘之氏撮影)
日奈久のカニ網=八代市。日奈久温泉の観光イベントは、夏から秋にかけての「カニ網」。舟上で新鮮なカニを喰う魅力が人気でお土産にもなった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月05日
撮影:1957年8月
日奈久のカニ網=八代市。日奈久温泉の観光イベントは、夏から秋にかけての「
日奈久のカニ網=八代市。日奈久港を出発した舟は、天草東の沖合に仕掛けた網を引きあげる。次々に「カニ」が獲れ歓声があがる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月05日
撮影:1957年8月
日奈久のカニ網=八代市。日奈久港を出発した舟は、天草東の沖合に仕掛けた網
日奈久のカニ網=八代市。獲れたてを舟の中で茹でた「カニ」の味は格別だ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月05日
撮影:1957年8月
日奈久のカニ網=八代市。獲れたてを舟の中で茹でた「カニ」の味は格別だ (
日奈久のカニ網=八代市。食べきれない「カニ」は土産になったので家庭でも話題になった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月05日
撮影:1957年8月
日奈久のカニ網=八代市。食べきれない「カニ」は土産になったので家庭でも話
金剛干拓の客馬車。日奈久町の観光馬車を譲り受け、干拓地を走っていた=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月01日
撮影:1957年7月
金剛干拓の客馬車=八代市
球磨川下りの出発風景=人吉市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年03月12日
撮影:1957年3月
球磨川下りの出発=人吉市
木炭バス故障=高森町。職場のレクリエーション、高千穂旅行でエンジントラブルが発生。木炭ガスが燃料で、坂道が多い路線のため乗客が心配そうに眺めていた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年10月12日
撮影:1956年10月
木炭バス故障=高森町。職場のレクリエーション、高千穂旅行でエンジントラブ
峠の茶屋=熊本市。店先にぶら下がったわらじが、昔の名残を思わせる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和31年05月01日
撮影:1956年5月
峠の茶屋=熊本市。店先にぶら下がったわらじが、昔の名残を思わせる。 (麦
タブ攻め=鏡町。大江湖は干拓地の遊水池で樋門の外は八代海。土地の言葉で遊水地を「ダブ」と呼び、年一回「ダブ攻め」という網開きが行われ、大きなボラや鯉、フナなどが捕れる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月08日
撮影:1955年9月
タブ攻め=鏡町。大江湖は干拓地の遊水池で樋門の外は八代海
阿蘇火山観光3000人の人出でにぎわう=阿蘇町 撮影日:昭和30年09月04日
撮影:1955年9月
掲載日:2012-11-30
【くまもと昭和を歩く】46 阿蘇火山観光の人出でにぎわう=阿蘇町 昭和30年
客馬車=八代市。「パッカパッカ」ひずめの音が軽快なリズムをとり、ゆったりと走る「客馬車」に子どもたちは大喜び。盆、正月やお祭りには子どもたちでいっぱいだった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年08月15日
撮影:1955年8月
客馬車=八代市。「パッカパッカ」ひずめの音が軽快なリズムをとり、ゆったり
昭和空撮 阿蘇神社一帯=阿蘇市一の宮町 撮影日:昭和29年04月30日
撮影:1954年4月
掲載日:2012-01-15
昭和空撮76 阿蘇神社一帯=阿蘇市一の宮町 昭和29年
馬車=八代市。八代市金剛付近ではのどかな馬車が、村の人たちの足でもあった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和27年08月12日
撮影:1952年8月
馬車=八代市。八代市金剛付近ではのどかな馬車が、村の人たちの足でもあった
立野鉄橋=長陽村。昭和26年10月国鉄高森線は、立野~高森間を運行し、高千穂・延岡方面に行く利用客も多かった。乗客は、九州一高い鉄橋の上から白川峡谷の景観を楽しんだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年10月01日
撮影:1951年10月
立野鉄橋=長陽村。昭和26年10月国鉄高森線は、立野~高森間を運行し、高