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昭和59年・三井三池有明鉱で火災 1月18日午後1時50分ごろ坑内火災が発生、死者83人の惨事となった 撮影日:昭和59年01月18日
撮影:1984年1月
昭和59年・三井三池有明鉱で火災
096・26熊本大水害 国鉄高森線の不通で混雑する高森中央バス停留所=阿蘇郡高森町
撮影:1953年7月
096・26熊本大水害 国鉄高森線の不通で混雑する高森中央バス停留所=阿蘇郡高森町
056・26熊本大水害 国鉄高森線不通。バスの乗降客で混雑する国鉄長陽駅前=阿蘇郡長陽村
撮影:1953年7月
056・26熊本大水害 国鉄高森線不通。バスの乗降客で混雑する国鉄長陽駅前=阿蘇郡長陽村
6・26熊本大水害 商店街は「水害空白奪回」へ。上通商店街のアーケード工事=熊本市上通町
撮影:1953年9月
6・26熊本大水害 商店街は「水害空白奪回」へ。上通商店街のアーケード工事=熊本市上通町
016・26熊本大水害 立ち往生したままの路線バス、杖立―貫見間=阿蘇郡小国町
撮影:1953年7月
016・26熊本大水害 立ち往生したままの路線バス、杖立―貫見間=阿蘇郡小国町
046・26熊本大水害 商店街の復興。全店水害品売り出し「上通町どろ祭」の横断幕=熊本市上通町
撮影:1953年7月
046・26熊本大水害 商店街の復興。全店水害品売り出し「上通町どろ祭」の横断幕=熊本市上通町
026・26熊本大水害 大雨の後はヨナの雨、傘をさして歩く住民=阿蘇郡宮地町
撮影:1953年7月
026・26熊本大水害 大雨の後はヨナの雨、傘をさして歩く住民=阿蘇郡宮地町
016・26熊本大水害 排土置き場もすでに満杯状態=熊本市の熊本城内薬研堀
撮影:1953年7月
016・26熊本大水害 排土置き場もすでに満杯状態=熊本市の熊本城内薬研堀
066・26熊本大水害 荒尾市の小中学生が被災地の児童に教科書届ける=熊本市手取本町の熊本市教育委員会
撮影:1953年7月
066・26熊本大水害 荒尾市の小中学生が被災地の児童に教科書届ける=熊本市手取本町の熊本市教育委員会
くまもと建築遺跡めぐり・烏帽子坑 煙が出ない高品質の「無煙炭」として日本海軍の軍艦燃料に重宝され、明治から大正時代に最盛期を迎えた天草地方の炭田。当時の面影を現在に伝えるのが、天草市牛深町下須島沖の「烏帽子(えぼし)坑」の坑口跡だ。
牛深町宮崎の漁港から船で約10分ほど下須島の西海岸沿いを航行、陸地から約200メートルの海上に坑口を開けた烏帽子坑が浮かんでいた。坑口から坑道が海の中へと傾斜して曲線を描く形は、海上に鎮座する獅子の背中にも見えた。
烏帽子坑は1897(明治30)年、天草炭業が開坑。無煙炭を軍事用に採掘したが、排水の処理がうまくいかなかったため、数年後に閉坑となった。坑口は縦横2メートルで5層の赤レンガと砂岩を組み合わせている。背後に、岩礁を利用した石組みの防波堤(長さ50メートル、高さ6メートル)があり、坑口を守っている。
天草地方の炭鉱で働いていた地元の高齢者は「劣悪な労働条件で、つらい思い出もあるが、天草の炭鉱の歴史を後世に伝えるためにも残してほしい」と話した。打ち寄せる波に襲われながら立ち続けてきた烏帽子坑の姿は、そんな声に必死に応えようとしているようだった。=天草市牛深町の下須島沖 撮影日:平成18年07月14日
撮影:2006年7月
波が打ち寄せる烏帽子坑の坑口(左)。右は防波堤=天草市
明治20年 熊本警察署 ※写真集・熊本100年より
撮影:1970年1月
明治20年 熊本警察署 ※写真集・熊本100年より
016・26熊本大水害 復旧工事中の国道=熊本市手取本町の熊本市役所前
撮影:1954年4月
復旧工事中の国道=熊本市手取本町の熊本市役所前
6・26熊本大水害 水害復興祭の市民パレード=熊本市上通
撮影:1953年9月
6・26熊本大水害 水害復興祭の市民パレード=熊本市上通
6・26熊本大水害 水害復興祭の市民パレード=熊本市新市街
撮影:1953年9月
6・26熊本大水害 水害復興祭の市民パレード=熊本市新市街
096・26熊本大水害 水害復興写真展の会場=熊本市新市街の銀丁デパート
撮影:1953年9月
096・26熊本大水害 水害復興写真展の会場=熊本市新市街の銀丁デパート