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八代宮神橋=八代市。お堀には蓮や菜。大洋デパートやバックの家が当時をしのばせる (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和41年10月01日
撮影:1966年10月
八代宮神橋=八代市。お堀には蓮や菜。大洋デパートやバックの家が当時をしの
道端で有明海特産の海産物売り=宇土市赤瀬 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和41年02月05日
撮影:1966年2月
道端で有明海特産の海産物売り=宇土市赤瀬
貨物列車・SL=人吉市。肥薩線人吉~吉松間は山岳地帯を運行するので「山線」と呼ばれた。貨物列車は前後のSLが白煙をあげ走行した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年10月11日
撮影:1965年10月
貨物列車・SL=人吉市。肥薩線人吉~吉松間は山岳地帯を運行するので「山線
球磨川全域が豪雨にに見舞われた。八代市の荻原町の堤防決壊で民家が流出し、国道3号も大混乱した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年09月24日
撮影:1965年9月
球磨川の洪水=八代市
十五夜踊り=八代市。十五夜の綱引きの最後は、篝火(かがりび)の廻りで婦人会の人たちが踊り、泊まり客も飛び入りし秋の夜を楽しむ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年09月18日
撮影:1965年9月
十五夜踊り=八代市。十五夜の綱引きの最後は、篝火(かがりび)の廻りで婦人
大鋸で作業=松島町。直径50cm以上の松材は、造船作業では必ず適当な厚さに長い時間をかけて大鋸で割いだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年09月18日
撮影:1965年9月
大鋸で作業=松島町
銀丁百貨店=熊本市。大洋や鶴屋以前に出店の新市街の・銀丁と安巳橋通りの千徳が熊本市の百貨店の草分け。屋上で「春日八郎歌謡曲祭」が行われ大勢の観衆でにぎわった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年09月12日
撮影:1965年9月
銀丁百貨店=熊本市。大洋や鶴屋以前に出店の新市街の・銀丁と安巳橋通りの千
頭地停留所の手前にある手清水=五木村 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年09月08日
撮影:1965年9月
頭地停留所の手前にある手清水=五木村 (麦島勝氏撮影)
大鋸で作業=松島町。板の厚みで長さが1m位になると「矢」と呼ばれる「楔(くさび)」を打ち、大鋸の摩擦を防ぎ切れやすい様に苦心して割いた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年09月07日
撮影:1965年9月
大鋸で作業=松島町
踏み切り待ち=八代市。八代駅から貨物専用の球磨川駅へは1日数回の貨物列車が通った。その間、いそがしい通行人もがまんしながら待ってくれた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年09月02日
撮影:1965年9月
踏み切り待ち=八代市。八代駅から貨物専用の球磨川駅へは1日数回の貨物列車
手斧で削る=天草郡松島町。木造船は船体の各部材は総べて円弧になっているので「手斧」で削る。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年08月07日
撮影:1965年8月
手斧で削る=天草郡松島町。木造船は船体の各部材は総べて円弧になっている
ボート遊び。球磨川発船場の対岸、水の手橋近くに手こぎボートが係留され、若いカップルが楽しげにオールを漕いでいた=人吉市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年08月05日
撮影:1965年8月
ボート遊び=人吉市留
洪水時の旧萩原橋=八代市。梅雨前線が停滞し、球磨川全域で豪雨が降った。旧萩原橋近くの堰堤が決壊、豊国旅館が流出し交通が混乱した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年07月03日
撮影:1965年7月
洪水時の旧萩原橋=八代市。梅雨前線が停滞し、球磨川全域で豪雨が降った
球磨川水源=水上村。水源地(別写真・同日撮影分)から150メートルほど下ると、ここにも「球磨川水源」の表示がある (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年05月03日
撮影:1965年5月
球磨川水源=水上村
球磨川水源=水上村。九州山地の中央部、標高約1200メートルの急峻な山の斜面から吹き出している。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年05月03日
撮影:1965年5月
球磨川水源=水上村。九州山地の中央部、標高約1200メートルの急峻な山の