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八代から本渡へ行くには、姫戸経由で本渡の大門港へ着くものと、三角経由で大矢崎港につくものがあった=本渡市た (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年07月16日
撮影:1970年7月
大矢崎港=本渡市
パーマ屋さん=人吉市。パーマネントが流行し、人吉では大きなドライヤーをかぶり悠然と雑誌を読んでいるのでびっくりした。改めておしゃれにも勇気が必要かと思った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年03月24日
撮影:1970年3月
パーマ屋さん=人吉市。パーマネントが流行し、人吉では大きなドライヤーをか
日奈久温泉広場=八代市。客馬車も見える (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年01月03日
撮影:1970年1月
日奈久温泉広場=八代市。客馬車も見える (麦島勝氏撮影)
7紙芝居=八代市蛇籠。町内を一回りする紙芝居のオジサンを見ると、遊んでいた子供たちは神社の境内に集まる。1円で飴を買い、おじさんの熱演に見とれる子供たち。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年00月41日
撮影:1970年1月
7紙芝居=八代市蛇籠。町内を一回りする紙芝居のオジサンを見ると、遊んでい
買い物を頭に載せて=八代市。天草から八代の蛇籠港まで蒸気船で買い物に来た人の中には、買い物を頭に乗せうまく歩く人もいた。みんな慣れていてびっくりしなかった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和43年09月05日
撮影:1968年9月
買い物を頭に載せて=八代市。天草から八代の蛇籠港まで蒸気船で買い物に来た
4月中旬から旧前川橋の鉄橋で泳ぐ色とりどりのこいのぼり=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和43年05月05日
撮影:1968年5月
前川橋のこいのぼり=八代市
草ソリ遊び=阿蘇町。阿蘇は四季を通じて魅力がある。子ども連れのお父さんたちは草千里の原っぱでソリ遊びを楽しんだ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和43年05月05日
撮影:1968年5月
草ソリ遊び=阿蘇町。阿蘇は四季を通じて魅力がある
旧日本セメント八代工場=八代市。明治23年操業を始め、工都八代市のシンボル的な存在で小中学ではスケッチやセメントのできる工程など外から勉強した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和43年04月15日
撮影:1968年4月
旧日本セメント八代工場=八代市。明治23年操業を始め、工都八代市のシンボ
不知火見物=八代市高島。不知火は、八朔の日の深夜に見える。見物の人々はそれまで歌や踊りなどで寒さもいとわず秋の夜を楽しんで待った。だ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和42年09月05日
撮影:1967年9月
不知火見物=八代市高島。不知火は、八朔の日の深夜に見える。見物の人々はそ
田植え=天明町。すげ笠かぶりの田植え人が、左右の田植え綱の目印に従い、苗を植え付けた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和42年06月18日
撮影:1967年6月
田植え=天明町。すげ笠かぶりの田植え人が、左右の田植え綱の目印に従い、苗
会津、島原間の九州横断フェリー=松島町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和42年05月05日
撮影:1967年5月
会津、島原間の九州横断フェリー=松島町
日奈久の客馬車=八代市。日奈久駅の上り下りの列車時間に合わせ木造3階建ても多い老舗旅館を巡回する。自家用車が増加し、道も渋滞するようになった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和42年03月18日
撮影:1967年3月
日奈久の客馬車=八代市。日奈久駅の上り下りの列車時間に合わせ木造3階建て
大洋デパート=熊本市。千徳、銀丁、矢木デパートなど熊本市内に数多くのデパートができたが、大洋、鶴屋は九州でも突出していた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和42年01月05日
撮影:1967年1月
大洋デパート=熊本市。千徳、銀丁、矢木デパートなど熊本市内に数多くのデパ
畜産市の昼食。手塩にかけた牛馬が高値で売れるか、大切な日。お昼には酒を振る舞い夫人ともども機嫌をとる=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和41年11月18日
撮影:1966年11月
畜産市の昼食=八代市
バスガイド=八代市。せまい山道で観光客を乗せたバスの離合合図をピイピイと功に運転手に伝えるガイドさん。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和41年10月28日
撮影:1966年10月
バスガイド=八代市。せまい山道で観光客を乗せたバスの離合合図をピイピイと