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二人乗り=熊本市。ヘルメット無しの二人乗り。あれ、「交通違反」?じゃなかったのか。お城まつりの行列を眺め世の中バイクの流行した時代。交通事故も少なかったのか (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和47年04月19日
撮影:1972年4月
二人乗り=熊本市。ヘルメット無しの二人乗り。あれ、「交通違反」?じゃなか
魚売り。春祭りに「このしろ寿司」をつくる家庭が多く行商の魚売りが顔見知りの家を巡回しよく売れた=鏡町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和47年04月06日
撮影:1972年4月
魚売り=鏡町
肥薩線の人吉吉松間。昭和47年3月に運行開始されたディーゼルカーを撮影に訪れたカメラマン=人吉市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和47年03月02日
撮影:1972年3月
ディーゼル車=人吉市。肥薩線の人吉吉松間
しゅんせつ船。球磨川水系は汽水域(淡水と海水が混じる塩分が少ない)で塩分除去が早いと有名になりコンベアーを使ったしゅんせつ船が活躍した=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和46年05月23日
撮影:1971年5月
しゅんせつ船=八代市
日奈久の町並み=八代市。温泉センター前は、江戸時代に整備された薩摩街道。客馬車が人気で、各旅館と駅を巡回しているが自動車も多くなり、路地裏も次第に車で渋滞するようになった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和46年03月15日
撮影:1971年3月
日奈久の町並み=八代市。温泉センター前は、江戸時代に整備された薩摩街道。
街頭募金のボーイスカウト=八代市。歳末助け合い運動。少年たちが、大洋デパートの前で声をからしていた。バスやバイクが走り、アーケードもない。当時の町並みがなつかしい。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年12月20日
撮影:1970年12月
街頭募金のボーイスカウト=八代市。歳末助け合い運動。少年たちが、大洋デパ
観客=八代宮相撲場。八代宮の境内にある相撲場では大相撲の地方巡業や土佐犬の斗犬大会、選挙の応援演説会場になった。斜面は石段になって座ることができた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年11月28日
撮影:1970年11月
観客=八代宮相撲場。八代宮の境内にある相撲場では大相撲の地方巡業や土佐犬
祭り帰り。八代市の塩屋八幡宮の秋祭りには、天草から八代の蛇篭港への定期便があって毎年賑わっていた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年11月25日
撮影:1970年11月
祭り帰り。天草から八代の蛇篭港への定期便
祭りで一杯=八代市宮地町。妙見さんで有名な八代神社の秋祭りを見に来た同級生たちは、朝から神幸行列で参拝人に御神酒を飲ませていたのを真似して一升瓶で回し飲みした (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年11月18日
撮影:1970年11月
祭りで一杯=八代市宮地町。妙見さんで有名な八代神社の秋祭りを見に来た同級
日奈久の客馬車=八代市。旧薩摩街道から国道3号や日奈久駅に向かって蹄の音も軽やかに通る。ここが薩摩街道の入口である。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年10月15日
撮影:1970年10月
日奈久の客馬車=八代市。旧薩摩街道から国道3号や日奈久駅に向かって蹄の音
運動会のお弁当=熊本市運動会の昼食は、各家庭で前夜から手作りのごちそうをつくり、持参した。今のようにコンビニの弁当はない (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年10月15日
撮影:1970年10月
運動会のお弁当=熊本市運動会の昼食は、各家庭で前夜から手作りのごちそうを
機械化されたしゅんせつ作業=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年09月27日
撮影:1970年9月
機械化されたしゅんせつ作業=八代市 (麦島勝氏撮影)
大江湖の網びらき=八代市。八代海の背後にある大江湖では9月中旬が網びらき。投げ網が広がりボラが獲れる。手作りの舟が多く、かごに入りきれない獲物に人気がある。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年09月14日
撮影:1970年9月
大江湖の網びらき=八代市。八代海の背後にある大江湖では9月中旬が網びらき
日奈久温泉表通り=八代市。国道3号が舗装され、車も馬車も仲良く走り、温泉町は昼夜賑わった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年07月25日
撮影:1970年7月
日奈久温泉表通り=八代市。国道3号が舗装され、車も馬車も仲良く走り、温泉
刺し網干し=相良村。川辺川と球磨川が合流する地点は鮎漁の絶好のポイント。「刺し網」は夜に張るが、昼間はその準備に忙しい。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和45年07月18日
撮影:1970年7月
刺し網干し=相良村。川辺川と球磨川が合流する地点は鮎漁の絶好のポイント。