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カニ買い=芦北町。釣りに出掛けて、それなりに魚の獲物はあっても、渡り蟹を見ては家に買って帰りたい (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和50年08月01日
撮影:1975年8月
カニ買い=芦北町。釣りに出掛けて、それなりに魚の獲物はあっても、渡り蟹を
氷切り=熊本市。自転車に積んだ氷から「どんごろす」という網袋をはぎ、すばやく大きな歯のある鋸(のこぎり)で8等分にさくさくと切り、職人技を披露した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和50年07月20日
撮影:1975年7月
氷切り=熊本市。自転車に積んだ氷から「どんごろす」という網袋をはぎ、すば
日奈久駅=八代市。九州を代表する温泉地として、駅は毎日温泉客で賑わう。人気の客馬車も見える。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和50年05月15日
撮影:1975年5月
日奈久駅=八代市。九州を代表する温泉地として、駅は毎日温泉客で賑わう
河川敷のゴルフ練習場=富合町。高嶺の花とあきらめていたゴルフが、一般の人にも手の届くようになった。しかしゴルフ場に出掛ける勇気も金もない。まずは緑川の河川敷で練習だと橋の下は賑わった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和49年10月27日
撮影:1974年10月
河川敷のゴルフ練習場=富合町。高嶺の花とあきらめていたゴルフが、一般の人
牧草運び=波野村。牧草を刈り取り、牛の背に積んで家路を急いだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和49年10月13日
撮影:1974年10月
牧草運び=波野村。牧草を刈り取り、牛の背に積んで家路を急いだ。 (麦島勝
通学船今泉丸=塚本村の球磨川。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和49年10月02日
撮影:1974年10月
通学船今泉丸=塚本村の球磨川。 (麦島勝氏撮影)
御船の眼鏡橋。御船から上流には数多くの石橋が残っているが、この眼鏡橋は昭和62年の洪水で姿を消した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和49年07月21日
撮影:1974年7月
御船の眼鏡橋。御船から上流には数多くの石橋が残っている
紙芝居=宮原町。紙芝居の光永さんは、拍子木を鳴らして町内を巡った。お宮の境内では子どもたちが、おじさんが来るのを遊びながら楽しみに待っていた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和49年05月30日
撮影:1974年5月
紙芝居=宮原町。紙芝居の光永さんは、拍子木を鳴らして町内を巡った。お宮の
田植えの前の代かき=坂本村 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和49年05月24日
撮影:1974年5月
田植えの前の代かき=坂本村 (麦島勝氏撮影)
そばの配達=熊本市。そばの老舗「やぶそば」の若者は自転車で6段積みお膳を肩に担ぐとも乗せるでもなく、いなせな技で運搬した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和49年05月02日
撮影:1974年5月
そばの配達=熊本市。そばの老舗「やぶそば」の若者は自転車で6段積みお膳を
高森線のC12型機関車=高森町。C12型機関車は、立野~高森間で活躍した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和49年04月24日
撮影:1974年4月
高森線のC12型機関車=高森町。C12型機関車は、立野~高森間で活躍した
鮎干し=八代市萩原町。落ちアユは腹から卵粒を取り出し「うるか」に加工され、串に刺され焼かれたり干されたりした。球磨川の晩秋の風物詩 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和48年11月08日
撮影:1973年11月
鮎干し=八代市萩原町。落ちアユは腹から卵粒を取り出し「うるか」に加工され
長話=球磨村。道路でふと出合い、つい長話しになった。お供の犬はおとなしく、いつわるのかなーと待っている (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和48年10月28日
撮影:1973年10月
長話=球磨村。道路でふと出合い、つい長話しになった。お供の犬はおとなしく
日奈久温泉を走る客馬車 =八代市。国道3号を車に混じって客馬車がゆっくり進む。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和48年10月15日
撮影:1973年10月
日奈久温泉を走る客馬車 =八代市。国道3号を車に混じって客馬車がゆっくり
草刈りの帰り道=阿蘇町。草刈りの帰路は、牛馬の背に刈り取った草を乗せて山を降りるのが阿蘇の秋の風物詩だったが、トラクターに変わってしまった。時代の流れを感じた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和48年10月01日
撮影:1973年10月
草刈りの帰り道=阿蘇町。草刈りの帰路は、牛馬の背に刈り取った草を乗せて山