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いかだ流し=八代市の球磨川。筏(いかだ)は、木材の直径、長さ、用途、運搬量などで組み立てが異なり、出発地でも違った。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年10月23日
撮影:1948年10月
いかだ流し=八代市の球磨川
深田の立岩=深田村。立岩は球磨川の右岸にある。舟運が盛んで舟つなぎの孔もあり、俳人・井上微笑の句碑もある。句碑には「大根舟続く炭舟下り舟」とある。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年10月20日
撮影:1948年10月
深田の立岩=深田村。立岩は球磨川の右岸にある。舟運が盛んで舟つなぎの孔も
立岩=深田村。球磨川の右岸の立岩には「お地蔵さん」がいらっしゃる。川岸は昔の川舟が行き来した港で岩には舟をつなぐ孔があけられていた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年10月20日
撮影:1948年10月
立岩=深田村。球磨川の右岸の立岩には「お地蔵さん」がいらっしゃる。川岸は
日奈久の湯治客=八代市。農閑期の束の間の骨休めに近隣や天草からも湯治客が訪れた。道路も未舗装、石油スタンドも手回し。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年09月15日
撮影:1948年9月
日奈久の湯治客=八代市。農閑期の束の間の骨休めに近隣や天草からも湯治客が
いりこ干し。天草の特産品「いりこ」は終戦直後から島民の貴重な栄養源。高戸港では足の踏み場もほどに「いりこ干し」の箱が並べられていた=竜ヶ岳町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年09月11日
撮影:1948年9月
いりこ干し=竜ヶ岳町。天草の特産品「いりこ」
御船川眼鏡橋=御船町。昭和63年5月3日から4日にかけて九州中西部を襲った豪雨の被害で流されてしまった。東陽村の種山石工が製作したもので、文化財にも指定されていた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年07月05日
撮影:1948年7月
御船川眼鏡橋=御船町。昭和63年5月3日から4日にかけて九州中西部を襲っ
田植え。苗綱どりの合図で綱に結んである赤い目印のところに苗を手植えする=坂本村 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年06月27日
撮影:1948年6月
田植え=坂本村植
田植え=旭志村。苗綱どりの合図で、綱に結んである赤い目印の所に、苗を手植えする。水田には、血を吸う「ヒル」が足に吸いついたり、腰を曲げたり伸ばしたり、作業は重労働だった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年06月27日
撮影:1948年6月
田植え=旭志村。苗綱どりの合図で、綱に結んである赤い目印の所に、苗を手植
田植え機など農業機械がない頃の田植えは重労働だった=深田村 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年05月25日
撮影:1948年5月
田植え=深田村
川辺川第一発電所取水ダム=五木村。コンクリート重力式ダムで昭和12年(1937)の建造。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年05月10日
撮影:1948年5月
川辺川第一発電所取水ダム=五木村。コンクリート重力式ダムで昭和12年(1
水くみ=八代市大築島。セメントの原料石灰岩採取鉱山のある大築島には作業員の社宅があり、その飲料水は雨水をコンクリートの水槽に貯め各家庭で沸かして使用した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年05月03日
撮影:1948年5月
水くみ=八代市大築島。セメントの原料石灰岩採取鉱山のある大築島には作業員
いかだ流し=八代市の球磨川。川辺川、球磨川の上流から48瀬とも言われる急流を渡りやっと八代に着く。昭和になってダムができるまで続いた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年05月02日
撮影:1948年5月
いかだ流し=八代市の球磨川
紙芝居=八代市。紙芝居のおじさんが、ラッパを吹いて町内を巡る。子供たちが神社の境内に集まり、買ったあめや水あめをたべながら、おじさんの熱演に見とれた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年04月17日
撮影:1948年4月
紙芝居=八代市。紙芝居のおじさんが、ラッパを吹いて町内を巡る。子供たちが
紙芝居=八代市。紙芝居のおじさんが、拍子木を鳴らし、町内をひと廻り。子供たちは、神社やお寺の境内に集まる。買った飴や水あめを食べながら、面白おかしく語るおじさんの熱演に見とれた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年04月17日
撮影:1948年4月
紙芝居=八代市。紙芝居のおじさんが、拍子木を鳴らし、町内をひと廻り。子供
木炭運び=八代市。木炭を自転車に積み、アスファルトの舗装もない道を1日に何回も運んだ。1俵が15キロの木炭を8俵、11俵も積み、当時の人たちの忍耐力に驚く。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年04月07日
撮影:1948年4月
木炭運び=八代市。木炭を自転車に積み、アスファルトの舗装もない道を1日に