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少年の家の子どもたち=西合志村。木登りをして遊ぶ子どもたち (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年04月01日
撮影:1949年4月
少年の家の子どもたち=西合志村。木登りをして遊ぶ子どもたち (麦島勝氏撮
第1回火の国まつり=熊本市。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年04月01日
撮影:1949年4月
第1回火の国まつり=熊本市。 (麦島勝氏撮影)
第1回火の国まつり=熊本市。パレードに多くの観客が見入った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年04月01日
撮影:1949年4月
第1回火の国まつり=熊本市。パレードに多くの観客が見入った (麦島勝氏撮
かじ踏み=人吉市。山田川では和紙をつくるコウゾやかじを冷たい川の中でふんでいた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年03月01日
撮影:1949年3月
かじ踏み=人吉市。山田川で和紙をつくるコウゾを踏む
おばあちゃんの子守り=八代市。お姉ちゃん達のままごと遊びからはずれた弟は、畑で働くお母さんの所へおばあちゃんとお弁当を届けに行く。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年02月20日
撮影:1949年2月
おばあちゃんの子守り=八代市。お姉ちゃん達のままごと遊びからはずれた弟は
木炭運び=人吉市。山の木炭焼き場から、狭い「木馬道」を、木炭30俵位を積み、急な坂道を麓の町に運搬する。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年01月28日
撮影:1949年1月
木炭運び=人吉市。山の木炭焼き場から、狭い「木馬道」を、木炭30俵位を積
木炭運び=人吉市。料理や暖房に使用された木炭。山で焼き、木馬(きんま)という木製のそりに木炭を積み狭い山道を曳いて町に運搬した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年01月28日
撮影:1949年1月
木炭運び=人吉市。料理や暖房に使用された木炭。山で焼き、木馬(きんま)と
竹馬遊び=八代市。小学校の5~6年生になると竹馬遊びなどで遊んだ。手作りで屋根の上からでないと乗れないほどの竹馬に乗れると一丁前になった誇りで威張れた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年01月03日
撮影:1949年1月
竹馬遊び=八代市。小学校の5~6年生になると竹馬遊びなどで遊んだ。手作り
現在の八代郵便局前にあった八代市役所。戦時中からの木造2階建てと平屋建てが庁舎だった=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年01月02日
撮影:1949年1月
現在の八代郵便局前にあった八代市役所
竹馬あそび=八代市。まだ自家用車が町内を走り回らない正月。子供たちは、自分たちで作った竹馬で遊んだ。年長になって高い竹馬に乗ると1人前と認められ自慢した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年01月02日
撮影:1949年1月
竹馬あそび=八代市。まだ自家用車が町内を走り回らない正月。子供たちは、自
竹馬遊び=八代市。自家用車がまだ多くなかったころ。正月に自分たちでつくった竹馬であそぶの子供たち。屋根の上から竹馬に乗るくらいで一人前だった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年01月02日
撮影:1949年1月
竹馬遊び=八代市。自家用車がまだ多くなかったころ。正月に自分たちでつくっ
少年の家=西合志村。少年の家の子どもたち (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年01月01日
撮影:1949年1月
少年の家=西合志村。少年の家の子どもたち (麦島勝氏撮影)
棚田=阿蘇郡長陽村立野。棚田が連なり壮観な眺めだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年11月20日
撮影:1948年11月
棚田=阿蘇郡長陽村立野。棚田が連なり壮観な眺めだ。 (麦島勝氏撮影)
立野の棚田。北向山から白川が流れるV字の谷をはさんで、段々畑と言われた田んぼが上へ上へと延び、さながら地球の「しわ」に感じられた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年11月20日
撮影:1948年11月
立野の棚田。北向山から白川が流れるV字の谷をはさんで、段々畑と言われた田
タブの穂運び=多良木町。線香は、「タブ」や杉の穂を水車の臼で粉にして作られる。学校から帰ると子どもたちは山に登り、父兄が刈った穂を背中に負い運搬した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和23年11月10日
撮影:1948年11月
タブの穂運び=多良木町。線香は、「タブ」や杉の穂を水車の臼で粉にして作ら