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石投げ=八代市。球磨川の急流で角のとれた石は、投げても遠くに飛び、川原は子供たちのいい遊び場だった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年04月10日
撮影:1950年4月
石投げ=八代市
あっ痛い。手刈りバリカン=八代市。手刈りのバリカンは片手で刈るので手の動きと髪を刈る速度のタイミングが難しい。兄の腕前に、おもわず「痛い」と弟。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年04月05日
撮影:1950年4月
あっ痛い。手刈りバリカン=八代市。手刈りのバリカンは片手で刈るので手の動
手刈りのバリカン=八代市。手刈りのバリカンは片手で刈るので動かしながら進むタイミングが難しい。手際良くできない、下手な兄と弟の散髪風景 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年04月05日
撮影:1950年4月
手刈りのバリカン=八代市
石投げ=八代市。現在旭中央通や緑町一帯は野上の川原だった。男の子は手頃な石で遊び、空腹になると桑の実を食べた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年04月01日
撮影:1950年4月
石投げ=八代市。現在旭中央通や緑町一帯は野上の川原だった。男の子は手頃な
金剛干拓の杭打ち船。舟二艘を中央部を開けて連結し、堤塘工の基礎に松の丸太のくいを打ち込む=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年03月10日
撮影:1950年3月
金剛干拓の杭打ち船
メジロ競鳴大会=八代市。子どもの愛鳥家もいる。毎日、登校前に「すり鉢」で数種類の餌をすり合わせて水と共に籠の中に入れて飼育。競鳴会にも出て試合する。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年03月02日
撮影:1950年3月
メジロ競鳴大会=八代市。子どもの愛鳥家もいる
冬の牧草運び=小国町。草泊まりで作った干草は、山の牧草貯蔵小屋に保管。時々馬の背に乗せて家まで運ばれた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和25年02月05日
撮影:1950年2月
冬の牧草運び=小国町。草泊まりで作った干草は、山の牧草貯蔵小屋に保管。時
石投げ=八代市。建築用の砂利すくいで逃げてきた魚めがけて子供たちは懸命にいしを投げて遊んだ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年10月23日
撮影:1949年10月
石投げ=八代市
球磨川沿いを走るSL=八代市。球磨川沿いを人吉まで運転されるので「川線」と親しまれ、客車貨物列車が活躍した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年10月02日
撮影:1949年10月
球磨川沿いを走るSL=八代市。球磨川沿いを人吉まで運転されるので「川線」
進駐軍の落下傘訓練=菊池郡黒石原。進駐軍の空挺部隊が上空から一斉に飛び降り、空中で落下傘が開き、「くらげ」のように動いた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年10月01日
撮影:1949年10月
進駐軍の落下傘訓練=菊池郡黒石原。進駐軍の空挺部隊が上空から一斉に飛び降
夫婦でシャク取り=八代市。干満の差が大きい八代海沿岸では「しゃくこね棒」で掘り、奥さんが泥の中で浮き上がった「しゃく」をすくい取る共同作業。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年09月05日
撮影:1949年9月
夫婦でシャク取り=八代市。干満の差が大きい八代海沿岸では「しゃくこね棒」
牛を引いて野良帰り=錦町。重い機械を台車に乗せ、牛に引かせて家路を急ぐ。どこでも見かける農村風景だった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年07月21日
撮影:1949年7月
牛を引いて野良帰り=錦町。重い機械を台車に乗せ、牛に引かせて家路を急ぐ。
行幸中の車=八代市。県内行幸中のお車が八代市を通った。その日、代陽小学校前には日の丸の旗を持った老若男女が出迎えた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年05月31日
撮影:1949年5月
行幸中の車=八代市。県内行幸中のお車が八代市を通った
田植えの準備=八代市。まだ農業機械のない時代の田植えは代かき(圃場を植えやすいように均一にならす)を自分の家のほか、人手のない家のぶんも手伝っていた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年05月28日
撮影:1949年5月
田植えの準備=八代市
代かきの共同作業=長陽村。せまい段々畠が多い山間地では、早朝から地区の農家が共同の田植え。あぜがくずれた田んぼは牛馬の背に積んだ「わら」で水止めの応急処理を行う。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和24年05月22日
撮影:1949年5月
代かきの共同作業=長陽村。せまい段々畠が多い山間地では、早朝から地区の農