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金剛干拓の導水路掘削工事。導水路掘削は地盤がやわく、大型重機は使用不能で人力作業だった=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年09月09日
撮影:1951年9月
金剛干拓の導水路掘削工事=八代市
八代外のシャク掘り=八代市。今は陸つづきの大島。以前は、貝やしゃこが多かった。漁師は大きなこね棒で干潟の土をひっくり返し、出てきた“しゃく”や“えび”を女性が腰まで水つかってすくった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年09月01日
撮影:1951年9月
八代外のシャク掘り=八代市。今は陸つづきの大島。以前は、貝やしゃこが多か
水くみ=八代市日奈久。日奈久港で花火大会があり、見物には行きたいが女性たちは食事の後片付けで水汲みに忙しい。共同水槽はいつも行列ができていた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年08月16日
撮影:1951年8月
水くみ=八代市日奈久。日奈久港で花火大会があり、見物には行きたいが女性た
砂利運搬船=八代市。山岳地帯から発した球磨川は、上流から砂利や砂を運び八代に堆積する。砂利は、サイズ別にふるい分けられ「ダンベ船」で各地に運んだ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年07月14日
撮影:1951年7月
砂利運搬船=八代市。山岳地帯から発した球磨川は、上流から砂利や砂を運び八
天神バネのいかだ集積場=八代市の球磨川。球磨川右岸の萩原天満宮前の天神バネ付近には萩原、宮地の製材所の木材集積所があり、球磨川の筏流しの木材が着いた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年06月08日
撮影:1951年6月
天神バネのいかだ集積場=八代市の球磨川
散歩道=人吉市。人吉市水の手橋付近の右岸側の道は登下校や散歩の道。雨の日も風・雪の日も学校へと通った道 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年06月05日
撮影:1951年6月
散歩道=人吉市。人吉市水の手橋付近の右岸側の道は登下校や散歩の道。雨の日
豊肥本線立野のスイッチバック。白い煙を吐いているのは熊本方面への上り列車=長陽村 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年05月25日
撮影:1951年5月
立野のスイッチバック=長陽村
八代市白鳥付近の埋立地は製材、製紙会社の木材置き場になっていて毎日人力で運ぶ作業をしていた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年05月03日
撮影:1951年5月
木材置き場=八代市
金剛干拓の堤塘工事。堤汐止の堤塘工事用の砂利、砂、セメント、型枠などはダンベ船で運ばれた=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年05月01日
撮影:1951年5月
金剛干拓の堤塘工事=八代市
神前結婚式。その後の披露宴では男側の仲人が詩吟のめでたい「四海波」を吟じた=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年04月12日
撮影:1951年4月
神前結婚式
神前結婚式=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年04月12日
撮影:1951年4月
神前結婚式=八代市 (麦島勝氏撮影)
阿蘇中岳火口壁。すり鉢状の火口壁は幾層もの段があり、噴火の堆積が残っている=阿蘇町。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年04月02日
撮影:1951年4月
阿蘇中岳火口壁=阿蘇町
メジロ競鳴九州大会=八代市。幼鳥から手塩にかけ飼育し、晴れ舞台の九州大会に登場。美しい声で鳴き、試合の決着がつかず飼い主がなきそうだ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年03月21日
撮影:1951年3月
メジロ競鳴九州大会=八代市。幼鳥から手塩にかけ飼育し、晴れ舞台の九州大会
メジロ競鳴九州大会=八代市。球磨川土堤でろ競鳴会があり、育てた愛鳥を持ち寄り、ひのき舞台で鳴き声を競わせた。試合のルールはめじろが連続5声鳴けば勝ち。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年03月21日
撮影:1951年3月
メジロ競鳴九州大会=八代市。球磨川土堤でろ競鳴会
メジロ競鳴九州大会=八代市。試合前には水浴びさせて落ち着かせ、好物の「さや虫」(葦などの茎の中にいる虫)をあたえてやる (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和26年03月21日
撮影:1951年3月
メジロ競鳴九州大会=八代市。試合前には水浴びさせて落ち着かせた