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草運び=小国町。兄も弟もてんびん棒に草を刺し、斜面も平道も運ぶ。肩にくい込み痛むが我慢して歩く。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月11日
撮影:1953年10月
草運び=小国町。兄も弟もてんびん棒に草を刺し、斜面も平道も運ぶ。肩にくい
草運び=小国町。大きなかまで草を刈り、急な斜面を何回もかついで運ぶ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月11日
撮影:1953年10月
草運び=小国町。大きなかまで草を刈り、急な斜面を何回もかついで運ぶ。 (
航海の準備=八代市。遠洋航海に出発するので漁具の用意に忙しい。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月10日
撮影:1953年10月
航海の準備=八代市。遠洋航海に出発するので漁具の用意に忙しい。 (麦島勝
お昼時=八代市。農業機械が無い時代。牛馬は大切な労働力で家族同様に飼育されていた。弁当を食べる時には、馬にも飼い葉を与えていた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月08日
撮影:1953年10月
お昼時=八代市。農業機械が無い時代。牛馬は大切な労働力で家族同様に飼育さ
出前持ち=熊本市。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月05日
撮影:1953年10月
出前持ち=熊本市。 (麦島勝氏撮影)
客馬車とボンネットバス。終戦後、馬車がお客を運んでいたが、速度が早く座席も多いボンネットバスが登場した=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月01日
撮影:1953年10月
客馬車とボンネットバス=八代市
草刈り休憩の一服=小国町。大きな草刈りがまで牛馬の飼料の牧草を切り、汗を流した後の一服でしばしの憩い (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月01日
撮影:1953年10月
草刈り休憩の一服=小国町。大きな草刈りがまで牛馬の飼料の牧草を切り、汗を
草泊まり=小国町。冬の到来前に牛馬の飼料の干し草を作る。阿蘇の高原に寝泊まりし、朝早くから夜遅くまで頑張った。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月01日
撮影:1953年10月
草泊まり=小国町。冬の到来前に牛馬の飼料の干し草を作る。阿蘇の高原に寝泊
靴磨き=熊本市。記念碑の前は産交バスの発着センターがあり、九州の中心熊本にあった九州財務局や農政局、郵政局、熊本県庁、市役所などの役所があり多くの人が訪れ、靴磨き客も多かった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年09月12日
撮影:1953年9月
靴磨き=熊本市。記念碑の前は産交バスの発着センターがあり、九州の中心熊本
小堀流泳法=熊本市。踏水術の立ち泳ぎで、字を書いたり木刀で闘ったりする。細川藩水練の技を見学に来た人々はびっくりした。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年08月28日
撮影:1953年8月
小堀流泳法=熊本市。踏水術の立ち泳ぎで、字を書いたり木刀で闘ったりする。
閻魔様開帳=八代市本町。子どもたちは、おじいさん、おばあさんから悪いことをしたら閻魔大王から地獄にやられるよ、と聞かされて育った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年08月16日
撮影:1953年8月
閻魔様開帳=八代市本町。子どもたちは、おじいさん、おばあさんから悪いこと
馬車とバス新旧交代=八代市。戦後、金剛干拓の工事が始まり「客馬車」がのどかに走った。その後、お客さんが3~4倍乗れる「バス」が登場すると惜しまれながら姿を消した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年07月20日
撮影:1953年7月
馬車とバス新旧交代=八代市
代かき=坂本村。鍬を牛にひかせ、田植え前の田んぼを均一にならす作業を「代かき」という。牛や馬は家族同様に扱い、農家の貴重な労働力だった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年06月15日
撮影:1953年6月
代かき=坂本村。鍬を牛にひかせ、田植え前の田んぼを均一にならす作業を「代
井出さらい=八代市。田植え前の農業用水路の掃除。ごみや草、藻が切られ田植え前の準備が各地区毎に行われた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年05月26日
撮影:1953年5月
井出さらい=八代市。田植え前の農業用水路の掃除。ごみや草、藻が切られ田植
紙芝居=八代市紙芝居のおじさんが拍子木を鳴らして町内をめぐると、子供たちが集まり飴を買い、食べながら紙芝居を見た (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年04月20日
撮影:1953年4月
紙芝居=八代市紙芝居のおじさんが拍子木を鳴らして町内をめぐる