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乗合馬車=八代市。頼まれれば、海辺の金剛干拓地から八代駅まで、パッカパッカとひづめの音を響かせて、静かな街角を走った。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年01月03日
撮影:1955年1月
乗合馬車=八代市。頼まれれば、海辺の金剛干拓地から八代駅まで、パッカパッ
木炭運び=八代市。めっきり寒くなった晩秋、馬車が木炭を積み駅の方からやって来た。まだ舗装もなく用水路がある狭い道路だった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年11月30日
撮影:1954年11月
木炭運び=八代市
大相撲地方巡業=八代宮相撲場。林のなかの特設相撲場だが、これでも国技館の中で見るようだと見物人は大喜び (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年11月05日
撮影:1954年11月
大相撲地方巡業=八代宮相撲場。林のなかの特設相撲場だが、これでも国技館の
シャク掘り=八代市。球磨川河口の干潟では5、6人の男たちがシャクコネ棒を突き込み泥をこね上げる。くぼみに入った女たちは腰まで漬かってザルでシャクをすくい取った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年09月15日
撮影:1954年9月
シャク掘り=八代市。球磨川河口の干潟では5、6人の男たちがシャクコネ棒を
舟遊び=八代市。八代海近くの舟だまりまで対岸の古城町の子どもたちは海苔舟に乗って遊んだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年09月15日
撮影:1954年9月
舟遊び=八代市。八代海近くの舟だまりまで対岸の古城町の子どもたちは海苔舟
入植宅地での建築がはじまるのに排水路が未完成な所もあり、人海戦術で頑張って作業した。右上の山は大鼠蔵山=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年09月10日
撮影:1954年9月
入植宅地の排水路工事=八代市の金剛干拓
立ち入り禁止の表示・金剛干拓。入植者の建物や工事が進むので一般の見学などが邪魔にならないように掲示板が立った=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年09月10日
撮影:1954年9月
立ち入り禁止の表示=八代市の金剛干拓
新聞少年=八代市。新聞配達の人々の労苦は今も昔も変わりないが、強いて比較すると道路、雨衣、服装がある。番傘をさし、ぬかるみの道を裸足で配達する新聞少年。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年06月29日
撮影:1954年6月
新聞少年=八代市。新聞配達の人々の労苦は今も昔も変わりないが、強いて比較
採蜜作業=八代市。菜の花、レンゲ、ミカンなど季節の花を求めて日本の各地を廻る養蜂の人たちは時々遠心分離機を利用して蜂蜜を採取すると付近には甘い香りが漂う (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年05月11日
撮影:1954年5月
採蜜作業=八代市。菜の花、レンゲ、ミカンなど季節の花を求めて日本の各地を
牛で麦運び=御船町。農村の牛馬は、家族の一員として農作業で働いた。まだ農業機械も無く運搬でも力を出した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年05月01日
撮影:1954年5月
牛で麦運び=御船町。農村の牛馬は、家族の一員として農作業で働いた。まだ農
C11機関車=阿蘇白水駅。ゴットン、ゴットン小型のC11機関車が汽笛一声で出発する。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和29年02月01日
撮影:1954年2月
C11機関車=阿蘇白水駅。ゴットン、ゴットン小型のC11機関車が汽笛一声
水田の草野球=相良村。刈り取りの済んだ水田で、子どもたちは三角ベースを配置して手づくりの球とグローブを使って野球をして元気に遊んだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年11月15日
撮影:1953年11月
水田の草野球=相良村。刈り取りの済んだ水田で、子どもたちは三角ベースを配
薪を背負って山帰り=八代市。お風呂や炊事の燃料などに使う木の小枝をぎっしり肩に背負って山を降りるおばあさんと幼い女児は家路を急いだ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月27日
撮影:1953年10月
薪を背負って山帰り=八代市。お風呂や炊事の燃料などに使う木の小枝をぎっし
建築前の地固め=八代市。家や倉庫を建てる前の作業。基礎は親類知人、近所の人たちが地固めを行った。木柱を滑車につなぎ、高く上げて落下させ、地面を固める昔ながらの作業 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月15日
撮影:1953年10月
建築前の地固め=八代市。家や倉庫を建てる前の作業。基礎は親類知人、近所の
草泊まり=小国町。木で組んだ台に草を乗せ、兄弟力を合わせ、草泊まりのかやぶき小屋に運ぶ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和28年10月11日
撮影:1953年10月
草泊まり=小国町。木で組んだ台に草を乗せ、兄弟力を合わせ、草泊まりのかや