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八代海のシャク掘り=八代市。泥んこになっても明るい笑顔。地区の漁夫たちの共同作業だった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年07月20日
撮影:1955年7月
八代海のシャク掘り=八代市。泥んこになっても明るい笑顔。地区の漁夫たちの
靴みがき=熊本市。九州産交バスの発着場近くの記念碑の周囲には、こうもり傘を立てた靴磨き屋が店を出し、バスから降りた乗客は靴を磨いて新市街に行ったり、電車に乗った。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年07月10日
撮影:1955年7月
靴みがき=熊本市。九州産交バスの発着場近くの記念碑の周囲には、こうもり傘
金剛干拓の試作田で初めての田植え=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年07月06日
撮影:1955年7月
金剛干拓の試作田で初めての田植え=八代市
おじいちゃんと一緒に金剛橋を渡る坊やも入植者=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年07月01日
撮影:1955年7月
おじいちゃんと一緒に金剛橋を渡る坊やも入植者=八代市の金剛干拓
野良帰り=八代市。田植えで汚れた作業服も上流降雨で冠水した道路を歩けばきれいになった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年06月25日
撮影:1955年6月
野良帰り=八代市。田植えで汚れた作業服も上流降雨で冠水した道路を歩けばき
野良帰り=八代市。農作業をして植柳橋の方へ帰るには八の字堰のそばを通る。少しの雨でも川は増水したが、汚れた着物が洗われると割りきっており、子犬も首輪をつかまれ無事に助けられた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年06月18日
撮影:1955年6月
野良帰り=八代市。農作業をして植柳橋の方へ帰るには八の字堰のそばを通る。
八代市長、市議選のポスターを見る人たち=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年04月28日
撮影:1955年4月
市長、市議選のポスター=八代市
引込み線のSL=八代市。県南最大の工業地帯八代市には製紙、化学繊維、アルコール、セメントの大工場があり、その原材料や製品の搬入・搬出のため各工場に引き込み線があった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年04月19日
撮影:1955年4月
引込み線のSL=八代市。県南最大の工業地帯八代市の引込み線
大学入試の檄文=熊本市。各学部の受験者を出身校の先輩たちが心温まる言葉で励ました。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年03月21日
撮影:1955年3月
大学入試の檄文=熊本市。各学部の受験者を出身校の先輩たちが心温まる言葉で
寒ノリ干し=八代市。球磨川本流と八代海が接する気水域は、青ノリで有名。少し下流で採取した「寒ノリ」は家で水洗し、葦で作ったミスに広げて日当たりの良い屋根の上で乾燥させる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年03月05日
撮影:1955年3月
寒ノリ干し=八代市。球磨川本流と八代海が接する気水域は、青ノリで有名。少
こうぞ踏み=人吉市。肥薩線鉄道そばの山田川では、長靴をはいた女児が寒風に吹かれながら、和紙の原料「こうぞ」を踏み繊維を柔らかくしていた。登校前の一仕事だ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年02月15日
撮影:1955年2月
こうぞ踏み=人吉市。肥薩線鉄道そばの山田川で、長靴をはいた女児がこうぞ踏み
人吉雪景色。球磨川下りの発船場も雪景色 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年01月21日
撮影:1955年1月
人吉雪景色。球磨川下りの発船場も雪景色 (麦島勝氏撮影)
草千里そばの阿蘇パノラマラインは樹氷が美しい=阿蘇町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年01月21日
撮影:1955年1月
雪の阿蘇=阿蘇町
雪の阿蘇=阿蘇町。杵島岳西北部はなだらかな起伏の斜面が広がり、冬は天然のゲレンデになり、県内外からのスキーファンで賑わった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年01月21日
撮影:1955年1月
雪の阿蘇=阿蘇町。杵島岳西北部はなだらかな起伏の斜面が広がり、冬は天然の
もぐらうち=八代市。家の敷地や畑を荒らすもぐらを追い出す正月の子どもたちの年中行事。町内各戸を回り、わらなどを棒状に巻き、地面をたたいた。そして菓子やミカンをもらった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年01月07日
撮影:1955年1月
もぐらうち=八代市。家の敷地や畑を荒らすもぐらを追い出す正月の子どもたち