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サーカスの象=八代市。八代宮境内でサーカスの興業があり、貨物専用の球磨川駅に象が到着。PRで八代宮まで行進する前に、子どもたちに長い鼻をふりあいさつした (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年10月18日
撮影:1955年10月
サーカスの象=八代市。八代宮境内でサーカスの興業があり、貨物専用の球磨川
草刈り=小国町。牛馬の冬期の飼料、干し草つくりのために大かまを使って草切り。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年10月12日
撮影:1955年10月
草刈り=小国町。牛馬の冬期の飼料、干し草つくりのために大かまを使って草切
焼き芋もメートル法で=八代市。尺貫法がメートル法に改正され、焼き芋100匁15円が375g15円になり、人々も慣れるまでは月日がかかった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年10月02日
撮影:1955年10月
焼き芋もメートル法で=八代市。尺貫法がメートル法に改正され、焼き芋100
油谷工業製作の「ユンボ」が掘削作業に役だった=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年10月01日
撮影:1955年10月
油谷工業製作の「ユンボ」が掘削作業に役だった=八代市の金剛干拓
金剛干拓の排水路工事。掘削用の重機では作業ができず人力で行ったので工事がなかなか進まなかった=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年10月01日
撮影:1955年10月
金剛干拓の排水路工事=八代市
大江湖網開き。9月中旬の農閑期になると、海と背中合わせの大江湖では「網びらき」が行われる=鏡町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月17日
撮影:1955年9月
大江湖網開き=鏡町
野良帰り=多良木町。農具と坊やを乗せてリヤカーを引くおばあさん。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月15日
撮影:1955年9月
野良帰り=多良木町。農具と坊やを乗せてリヤカーを引くおばあさん。 (麦島
タブ攻め=鏡町。大江湖は干拓地の遊水池で樋門の外は八代海。土地の言葉で遊水地を「ダブ」と呼び、年一回「ダブ攻め」という網開きが行われ、大きなボラや鯉、フナなどが捕れる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月08日
撮影:1955年9月
タブ攻め=鏡町。大江湖は干拓地の遊水池で樋門の外は八代海
浚渫機=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月08日
撮影:1955年9月
浚渫機=八代市
干潟の漁=八代市。潮が引いた干潟の穴にいる「貝」や「しゃく」をとるため、大島付近で潮が満ちてくるまで、どろんこになって漁をした。現在は干拓され工業団地になっている (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月05日
撮影:1955年9月
干潟の漁=八代市。潮が引いた干潟の穴にいる「貝」や「しゃく」をとる
用・排水路、樋門工事など井戸工事、廃水まで発動機が活躍したので点検、修理も忙しかった=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年09月03日
撮影:1955年9月
発動機の点検、修理=八代市の金剛干拓
舟遊び=球磨村の球磨川。上流から流れ着いた精霊舟を拾って行う舟あそびは、現代のラフティングの様である (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年08月20日
撮影:1955年8月
舟遊び=球磨村の球磨川。上流から流れ着いた精霊舟を拾って行う舟あそびは、
舟遊び=球磨郡。上流から流れ着いたお盆の精霊舟で、子どもたちは残り少なくなった夏休みを楽しんだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年08月18日
撮影:1955年8月
舟遊び=球磨郡。上流から流れ着いたお盆の精霊舟で、子どもたちは残り少なく
客馬車=八代市。「パッカパッカ」ひずめの音が軽快なリズムをとり、ゆったりと走る「客馬車」に子どもたちは大喜び。盆、正月やお祭りには子どもたちでいっぱいだった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年08月15日
撮影:1955年8月
客馬車=八代市。「パッカパッカ」ひずめの音が軽快なリズムをとり、ゆったり
八代海のシャク掘り=八代市。当時は干潟に5~6人の男たちが「シャクコネ棒」を突っ込み泥を捏ねあげる。窪みに入った女たちは腰まで浸かり「ザル」を使い「シャク」を掬いあげた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和30年07月20日
撮影:1955年7月
八代海のシャク掘り=八代市。当時は干潟に5~6人の男たちが「シャクコネ棒