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空撮。八代市街と球磨川。中央は新前川堰、左の長い橋は新萩原橋=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成3年10月01日
撮影:1991年10月
空撮。八代市街と球磨川(その2)
空撮。球磨川と八代市街 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成3年10月01日
撮影:1991年10月
空撮。球磨川と八代市街 (麦島勝氏撮影)
空撮。球磨川右岸にある石刎(いしはね)。加藤清正が7カ所造ったが、現在4カ所が残っている=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成3年10月01日
撮影:1991年10月
空撮。球磨川右岸にある石刎(いしはね)=八代市
通学舟=八代市。球磨川の左岸の西部(今泉地区)の子供たちは小学校のある右岸の段地区まで通学船今泉丸が送迎した。西部大橋が建造されるまで続いた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:平成2年10月08日
撮影:1990年10月
通学舟=八代市。球磨川の左岸の西部(今泉地区)の子供たちは小学校のある右
飛行船=八代市。さくらフィルムの小西六写真工業(株)がコニカと社名変更するにあたり、PRの飛行船が八代市の工業団地埋立地の広場を基地に九州各地へ飛んだ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和63年03月13日
撮影:1988年3月
飛行船=八代市。さくらフィルムの小西六写真工業(株)がコニカと社名変更す
七五三写真撮影=八代市。きれいに着飾ったお姉ちゃんと弟で、お母さんに写真を撮ってもらいました。お仁王さまと一緒でよかったね、とひなたぼっこの曾おばあちゃん。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和62年11月03日
撮影:1987年11月
七五三写真撮影=八代市。きれいに着飾ったお姉ちゃんと弟で、お母さんに写真
御船橋(眼鏡橋)=御船町。御船川の度々の洪水にも耐えた美しい「眼鏡橋」。昭和63年5月の大雨により流失した。しかし「思い出橋」として新橋ができている。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和62年07月25日
撮影:1987年7月
御船橋(眼鏡橋)=御船町。御船川の度々の洪水にも耐えた美しい「眼鏡橋」。
いかだ組み講習会=八代市。小学校の先生が、「筏流し」を児童に教えようと、まず筏の組み方から始めた。木材を葛やふじ葛で結束した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和61年09月05日
撮影:1986年9月
いかだ組み講習会=八代市。小学校の先生が、「筏流し」を児童に教える
球磨川下りとラフティング=球磨村。急流球磨川下りの“川下り舟”と競走するかのように“ラフティング”も流行。七つ岩付近 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和60年07月20日
撮影:1985年7月
球磨川下りとラフティング=球磨村。急流球磨川下りの“川下り舟”と競走する
飯食い祭り=高森町。各集落の接待客は、大盛りのご飯を腹いっぱいおかわりして食べる。そして代表選手となるので子供たちの声援で大賑わい。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和59年12月10日
撮影:1984年12月
飯食い祭り=高森町。各集落の接待客は、大盛りのご飯を腹いっぱいおかわりし
飯食い祭り=高森町。祭りのために、高さ30cm直径15cmの「大塔飯」が作られる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和59年12月10日
撮影:1984年12月
飯食い祭り=高森町。祭りのために、高さ30cm直径15cmの「大塔飯」が
飯食い祭り=高森町。色見地区には4つの集落がある。この日は、山鳥が接待役で昼から男ばかりで料理した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和59年12月10日
撮影:1984年12月
飯食い祭り=高森町。色見地区には4つの集落がある。この日は、山鳥が接待役
飯食い祭り=高森町。350年の歴史をもつ伝統行事。秋の収穫が終わり、新米を持ち寄って貴重な白米をたらふく食べ、翌年の豊作を願ったのが起源と云う。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和59年12月10日
撮影:1984年12月
飯食い祭り=高森町。350年の歴史をもつ伝統行事。秋の収穫が終わり、新米
通学船=坂本村。小学校のある球磨川右岸の段地区まで役場の今泉丸が送迎していた。しかし風の強い日や洪水の時は、上下流の橋を経て父兄が車で送った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和59年11月06日
撮影:1984年11月
通学船=坂本村。小学校のある球磨川右岸の段地区まで役場の今泉丸が送迎して
弓道の練習。八代弓道連盟・夏期講習が夕葉橋下の球磨川右岸で、昼の人通りがない時間に弓を引いて練習に励んだ=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和59年07月11日
撮影:1984年7月
弓道の練習=八代市