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地蔵祭り=八代市。いつも地蔵さんは子供の安全を守っている。そんな優しいお地蔵さんを各地方の子供たちは夏休みの終わろうとする8月23、24日はお供え物をあげてお祭りする (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月24日
撮影:1957年8月
地蔵祭り=八代市。いつも地蔵さんは子供の安全を守っている。そんな優しいお
フカ狩り。海と空から浜辺いっぱいの観客と網を引く漁夫を撮影するカメラマン=苓北町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月07日
撮影:1957年8月
フカ狩り=苓北町
日奈久のカニ網=八代市。日奈久温泉の観光イベントは、夏から秋にかけての「カニ網」。舟上で新鮮なカニを喰う魅力が人気でお土産にもなった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月05日
撮影:1957年8月
日奈久のカニ網=八代市。日奈久温泉の観光イベントは、夏から秋にかけての「
日奈久のカニ網=八代市。日奈久港を出発した舟は、天草東の沖合に仕掛けた網を引きあげる。次々に「カニ」が獲れ歓声があがる。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月05日
撮影:1957年8月
日奈久のカニ網=八代市。日奈久港を出発した舟は、天草東の沖合に仕掛けた網
日奈久のカニ網=八代市。獲れたてを舟の中で茹でた「カニ」の味は格別だ (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月05日
撮影:1957年8月
日奈久のカニ網=八代市。獲れたてを舟の中で茹でた「カニ」の味は格別だ (
日奈久のカニ網=八代市。食べきれない「カニ」は土産になったので家庭でも話題になった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年08月05日
撮影:1957年8月
日奈久のカニ網=八代市。食べきれない「カニ」は土産になったので家庭でも話
シャク堀り=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月25日
撮影:1957年7月
シャク堀り=八代市
木材集積場=八代市。製紙工場用の木材は松が多く県内外から新港町の埋立地にできた集積場に運ばれた。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月21日
撮影:1957年7月
木材集積場=八代市
交通整理の児童=八代市。ラッシュの登校時、交通事故が多く、低学年児童を守ろうと5、6年生が交代で交通整理。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月15日
撮影:1957年7月
交通整理の児童=八代市。ラッシュの登校時、交通事故が多く、低学年児童を守
撮影会・水着のモデル=熊本市八景水谷。水着姿のモデルさんを撮るカメラマンの後ろ姿はユーモラスでお尻がぬれないかなと思われシャッターを押した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月15日
撮影:1957年7月
撮影会・水着のモデル=熊本市八景水谷。水着姿のモデルさんを撮るカメラマン
撮影会・芸者さん=熊本市。写真撮影会が八景水谷公園で行われた。当時のモデルさんは丸髷姿の芸者さんもいた。県内で第1回目の撮影会であった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月15日
撮影:1957年7月
撮影会・芸者さん=熊本市。写真撮影会が八景水谷公園で行われた。当時のモデ
客馬車の馬にエサやり・金剛干拓=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月01日
撮影:1957年7月
客馬車の馬にエサやり・金剛干拓=八代市 (麦島勝氏撮影)
金剛干拓の客馬車。客馬車は県道を走る定期バスと接続し、利用者にも好評だった。当時、新聞、テレビでも紹介され、遠いところから乗りに来る人もあった=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月01日
撮影:1957年7月
金剛干拓の客馬車=八代市
金剛干拓の客馬車。日奈久町の観光馬車を譲り受け、干拓地を走っていた=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月01日
撮影:1957年7月
金剛干拓の客馬車=八代市
金剛干拓の客馬車。高植本町北区の出発から弥次の分校前を過ぎると直線コースで干拓入口に到着。馬車はひづめの音も軽やかに走った=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和32年07月01日
撮影:1957年7月
金剛干拓の客馬車=八代市