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登山馬車=阿蘇町。ロープウェイのできる前は、5~6人乗りの登山馬車で火口付近まで行き、後は歩いた。馬は帰りの客を待つ間、飼い葉を食べての客待ち。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和36年03月01日
撮影:1961年3月
登山馬車=阿蘇町。ロープウェイのできる前は、5~6人乗りの登山馬車で火口
農村の正月=種山村。稲束が積んである庭でピンポンや羽子つきで遊ぶ子供ら。そのそばでは子犬がお乳を飲み平和な正月だった。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和36年01月02日
撮影:1961年1月
農村の正月=種山村。稲束が積んである庭でピンポンや羽子つきで遊ぶ子供ら。
師走で忙しい町の隅にできた無人販売所。値段は100円均一。看板横には「警察官常時立寄所」の札も=中央町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年12月28日
撮影:1960年12月
師走で忙しい町の隅にできた無人販売所。値段は100円均一。看板横には「警
正月の餅つき=八代市。正月前に親類や近所の人たちが石臼、杵、せいろなど所有する家で共同の餅つきをした。子供たちも楽しみにして大喜びした (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年12月28日
撮影:1960年12月
正月の餅つき=八代市。正月前に親類や近所の人たちが石臼、杵、せいろなど所
野良帰り=高森町。夕方になるとめっきり寒くなる。舗装もない山道を牛の背に乗せた鞍に乗り家路を急ぐ。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年12月21日
撮影:1960年12月
野良帰り=高森町。夕方になるとめっきり寒くなる。舗装もない山道を牛の背に
妙見祭。亀蛇の出たち。「亀蛇」は出町のガメと愛称され、祭の朝、町内を元気に出発する=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年11月18日
撮影:1960年11月
妙見祭。亀蛇の出たち=八代市
妙見祭神幸行列の人気者、「亀蛇」。早朝の出発前、見送る町内の人たちに首を上げてあいさつする=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年11月18日
撮影:1960年11月
妙見祭の亀蛇=八代市。妙見祭神幸行列の人気者、「亀蛇」
七五三参り=八代市。子どもの成長を祝う行事。「羽織袴」を背丈の伸びに従い、「紐解き」という縫い代を上げ(伸ばし)て神社に参拝。親類や町内にも見せ、子どもの成長を祝った。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年11月15日
撮影:1960年11月
七五三参り=八代市。子どもの成長を祝う行事。「羽織袴」を背丈の伸びに従い
高森峠の道=高森町。宮崎、大分方面に行くにもこの峠を通った。九十九曲り峠と云っていたがヘヤピンカーブの連続。バスや木炭、米俵などを曳いた馬車の新旧交代も近い (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年11月08日
撮影:1960年11月
高森峠の道=高森町。宮崎、大分方面に行くにもこの峠を通った。九十九曲り峠
大畑駅=人吉市。人吉から吉松方面に行く肥薩線は山岳地を走るので「山線」と呼ばれ、車窓から見る景色が「日本三大車窓風景」として有名 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年11月05日
撮影:1960年11月
大畑駅=人吉市。人吉から吉松方面に行く肥薩線は山岳地を走るので「山線」と
休日に洗い物の手伝いをする子どもたち=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年10月30日
撮影:1960年10月
休日に洗い物の手伝いをする子どもたち=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影)
農繁期が過ぎ、運動やレクレーションを楽しむ入植者=八代市の金剛干拓 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年10月30日
撮影:1960年10月
農繁期が過ぎ、運動やレクレーションを楽しむ入植者=八代市の金剛干拓
お遊戯=八代市。ばらが咲いた…きれいだなーと父兄の前で踊る。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年10月18日
撮影:1960年10月
お遊戯=八代市。ばらが咲いた…きれいだなーと父兄の前で踊る。 (麦島勝氏
刈り穂の干し場がない農家は、牛・馬にひかせて干し場まで運搬していた=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年10月12日
撮影:1960年10月
刈穂運び=八代市
交通整理の児童=八代市。霧でかすんだ朝は二人で連携して素早く指示誘導する。大人たちも喜んで協力した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和35年10月11日
撮影:1960年10月
交通整理の児童=八代市。霧でかすんだ朝は二人で連携して素早く指示誘導する