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年賀状仕分けのアルバイト=八代市。八代郵便局で年賀状仕分けのアルバイト。住所ごとに分類整理する大切な仕事。配達する友達も一生懸命頑張った (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年01月01日
撮影:1965年1月
年賀状仕分けのアルバイト=八代市。八代郵便局で年賀状仕分けのアルバイト。
水道町界隈=熊本市。肥後銀行水道町支店の新築工事や大相撲熊本場所の旗、産交の車庫、オート三輪、金龍堂書店などが写真から判明する。熊本市内の記録である (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和40年01月01日
撮影:1965年1月
水道町界隈=熊本市。肥後銀行水道町支店の新築工事や大相撲熊本場所の旗、産
夜のひととき。ミシンの軽やかな音とお湯のわく音が交差して子供たちが眠れない=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年12月21日
撮影:1964年12月
夜のひととき=八代市。ミシンの軽やかな音とお湯のわく音が交差
やまなみハイウエー。九州横断道路が開通、バス旅行などの観光客が増加した=一の宮町 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年11月20日
撮影:1964年11月
やまなみハイウエー=一の宮町
妙見セリ市=八代市。妙見祭に合わせ八代駅近くで、牛や馬の「畜産市」がある。育てた牛が高く売れるように、酒や山海の珍味をごちそうする習わしがあった (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年11月18日
撮影:1964年11月
妙見セリ市=八代市。妙見祭に合わせ八代駅近くで、牛や馬の「畜産市」がある
やまなみハイウェー開通=一の宮町。待望の別府、瀬の本、阿蘇を結ぶ九州横断道路(やまなみハイウェー)も開通し観光客が増加した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年11月15日
撮影:1964年11月
やまなみハイウェー開通=一の宮町。待望の別府、瀬の本、阿蘇を結ぶ九州横断
やまなみハイウエー開通=一宮町。東京オリンピック開幕の年。阿蘇~別府を結ぶ九州横断道路(やまなみハイウエー)が開通し、根子岳や千枚田を背景にひっきりなしに観光客が行き来した。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年11月15日
撮影:1964年11月
やまなみハイウエー開通=一宮町。東京オリンピック開幕の年。阿蘇~別府を結
ガス大砲=八代市。稲を刈り取る前のスズメ追いは、カーバイトとコップに入れた水を調合し、発生したガスに点火し、大きな爆発音を発生させ、撃退した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年10月30日
撮影:1964年10月
ガス大砲=八代市。稲を刈り取る前のスズメ追いは、カーバイトとコップに入れ
新植柳橋工事。旧植柳橋老朽に伴う新橋の橋台や橋脚などの下部工の工事が着々進行している=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年05月05日
撮影:1964年5月
新植柳橋工事=八代市
豆カメラマン=熊本市。花見に来た進駐軍の家族のアメリカの女児を撮影する豆カメラマン。本格的な後ろ姿が頼もしい (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年04月05日
撮影:1964年4月
豆カメラマン=熊本市。花見に来た進駐軍の家族のアメリカの女児を撮影する豆
立ち読み。夢中になってマンガや少年雑誌をむさぼり読む子供たち=八代市 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和39年03月10日
撮影:1964年3月
立ち読み。夢中になってマンガや少年雑誌をむさぼり読む子供たち=八代市
旅は道連れ=人吉市。観光バスは異なるが隣りに駐車し、見知らぬ客が、窓越しに球磨焼酎の献杯、返盃。心は和む。 (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和38年11月05日
撮影:1963年11月
旅は道連れ=人吉市。観光バスは異なるが隣りに駐車し、見知らぬ客が、窓越し
船で八代へ=八代外港。天草東側から八代市の蛇篭港までは、家族で船に乗って買い物や塩屋八幡宮のお祭りに来ていた (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和38年10月25日
撮影:1963年10月
船で八代へ=八代外港。天草東側から八代市の蛇篭港までは、家族で船に乗って
木材運搬=八代市。狭い山道を木材を積んだトラックが離合する時は下を見ると恐い急な崖もあり、ひやひや慎重に通過した (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和38年10月03日
撮影:1963年10月
木材運搬=八代市。狭い山道を木材を積んだトラック
ダブぜめ(網開き)=鏡町。鏡町北新地の”大江湖”は遊水池。樋門の外は八代海で、年に一度「ダブぜめ」という網開きが行われ40~50cmのボラや鯉、フナなどが獲れる (麦島勝氏撮影) 撮影日:昭和38年09月08日
撮影:1963年9月
ダブぜめ(網開き)=鏡町。鏡町北新地の”大江湖”は遊水池。樋門の外は八代