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ダンベ船=八代市。球磨川萩原橋から前川橋下流まで砂利すくい船や浚渫船で砂
ダンベ船=八代市。球磨川萩原橋から前川橋下流まで砂利すくい船や浚渫船で砂利をとり「ダンベ船」という大きな船に積み、各地に運搬。球磨川の丸石として珍重された (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年10月01日

撮影:1950年10月

ダンベ船=八代市。球磨川萩原橋から前川橋下流まで砂利すくい船や浚渫船で砂

生け簀かご=天草・姫戸港。八代から発着する天草通いのポンポン船(蒸気船)
生け簀かご=天草・姫戸港。八代から発着する天草通いのポンポン船(蒸気船)で海水浴の帰りには、新鮮な魚を買った (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年08月30日

撮影:1950年8月

生け簀かご=天草・姫戸港。八代から発着する天草通いのポンポン船(蒸気船)

本湯(御前湯)=八代市。日奈久温泉は江戸時代初期から細川藩営の由緒ある温
本湯(御前湯)=八代市。日奈久温泉は江戸時代初期から細川藩営の由緒ある温泉。殿様の「御前湯」、武士の「お次湯」、平民の「平湯」に区別された。明治以降は開放され本湯温泉センターになった (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年07月28日

撮影:1950年7月

本湯(御前湯)=八代市。日奈久温泉は江戸時代初期から細川藩営の由緒ある温

牛ならし=高森町
牛ならし=高森町。朝起き、顔洗い、「牛ならし」と小学校に行くまでの少年たちは親からしつけられた。少年がならされている畜産農家ならではの日常風景である (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年07月05日

撮影:1950年7月

牛ならし=高森町

洪水=八代市。球磨川の荻原橋を渡り、高田方面に行く道路は、八代で雨が降ら
洪水=八代市。球磨川の荻原橋を渡り、高田方面に行く道路は、八代で雨が降らなくても上流に雨が降るとすぐ増水し通行者はズボンをまくり、用心しながら渡る国道3号だった。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年06月27日

撮影:1950年6月

洪水=八代市。球磨川の荻原橋を渡り、高田方面に行く道路は、八代で雨が降ら

沈み橋(清水橋)=八代市
沈み橋(清水橋)=八代市。旧萩原橋を渡り、高田記念碑前に通じる道は上流で雨が多く降るとすぐ冠水するので、「清水橋」という名前があるが、当時「沈み橋」と呼ばれた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年06月25日

撮影:1950年6月

沈み橋(清水橋)=八代市

洪水を楽しむ=八代市渡町。日奈久、鹿児島にも通じる国道3号。一寸した降雨
洪水を楽しむ=八代市渡町。日奈久、鹿児島にも通じる国道3号。一寸した降雨でも水浸しになり、自動車は船が通る様に波を切って走る。子どもたちは、トラックやバスに追いすがって遊んだ (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年06月25日

撮影:1950年6月

洪水を楽しむ=八代市渡町。日奈久、鹿児島にも通じる国道3号。一寸した降雨

下校中の洪水=八代市。植柳橋は洪水でこわれて渡れず、川の中の道も雨が降る
下校中の洪水=八代市。植柳橋は洪水でこわれて渡れず、川の中の道も雨が降ると渡れなくなる。男の子が浅い場所を下校で困る女学生に教えた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年06月21日

撮影:1950年6月

下校中の洪水=八代市。植柳橋は洪水でこわれて渡れず、川の中の道も雨が降る

熊本城の枡形道=熊本市。熊本城内の道は坂があり、上ったり下ったり、右や左
熊本城の枡形道=熊本市。熊本城内の道は坂があり、上ったり下ったり、右や左に曲がったり。戦いを想定して築城されていた (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年05月05日

撮影:1950年5月

熊本城の枡形道=熊本市。熊本城内の道は坂があり、上ったり下ったり、右や左

いかだ流し=八代市。球磨川上流から萩原天神バネに着いた筏
いかだ流し=八代市。球磨川上流から萩原天神バネに着いた筏では、親子がのんびりと朝食をとっている、だんらんの姿があった (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年05月02日

撮影:1950年5月

いかだ流し=八代市。球磨川上流から萩原天神バネに着いた筏

公役の川さらえ=八代市。球磨川から引いた用水路を田植え前に「イデさらえ」
公役の川さらえ=八代市。球磨川から引いた用水路を田植え前に「イデさらえ」という川掃除の公役(苦役)が伝承されていた。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年05月01日

撮影:1950年5月

公役の川さらえ=八代市。球磨川から引いた用水路を田植え前に「イデさらえ」

筏流し=八代市。球磨・芦北から材木や山産物を運んでいた (麦島勝氏撮影)
筏流し=八代市。球磨・芦北から材木や山産物を運んでいた (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年05月01日

撮影:1950年5月

筏流し=八代市。球磨・芦北から材木や山産物を運んでいた (麦島勝氏撮影)

新堀橋下を通る電車=熊本市。藤崎宮前と上熊本駅を結ぶ市電。明治42年から
新堀橋下を通る電車=熊本市。藤崎宮前と上熊本駅を結ぶ市電。明治42年から熊本市と菊池郡隈府町間を軽便鉄道が走っていたが、大正12年、電車に変わった。 (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年04月17日

撮影:1950年4月

新堀橋下を通る電車=熊本市。藤崎宮前と上熊本駅を結ぶ市電。明治42年から

豊作祈願の火渡り=阿蘇町。この田に幸あれとしばしご婦人連によるゴエイ歌が
豊作祈願の火渡り=阿蘇町。この田に幸あれとしばしご婦人連によるゴエイ歌が奏せられる (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年04月15日

撮影:1950年4月

豊作祈願の火渡り=阿蘇町。この田に幸あれとしばしご婦人連によるゴエイ歌が

豊作祈願の火渡り=阿蘇町。ゴマ木が燃え上がり、(これはけがれを清める意味
豊作祈願の火渡り=阿蘇町。ゴマ木が燃え上がり、(これはけがれを清める意味)集落の人たちは静かに見守る (麦島勝氏撮影)   撮影日:昭和25年04月15日

撮影:1950年4月

豊作祈願の火渡り=阿蘇町。ゴマ木が燃え上がり、(これはけがれを清める意味

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  • 2023.01.16
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