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昭和10年3月 新興熊本大博覧会の関係者の記念写真。二本木・東雲楼の庭園で。産業立市を掲げた博覧会で、10年3月25日から5月13日まで開かれ105万人が訪れた=熊本市二本木町 ※熊本市楡木の森川シズ子さん提供
撮影:1935年3月
昭和10年 新興熊本大博覧会の関係者の記念写真。二本木・東雲楼の庭園で
町名小史・二本木町 「祇園山(花岡山)から二本木見れば、自由廃業でなんとしょ、金はなかしま家も質(楼主中島茂七)、東雲(しののめ)のストライキ、さい(帳場斎藤)とはつらいね、てなことおっしゃいましたかね」-の歌で知られる遊郭地帯だった。明治32年、東雲楼の遊女たちが自由廃業届けの挙にでた。結局は遊女側の敗北に帰したが、この東雲節で、二本木の名は一躍有名になった。二本木には平安時代に「二本木国府」が置かれた。地名の起源は、国府鎮護の護国寺の裏門近くに二本の木があったから、という説がある。明治4年の廃藩置県による県庁が古府中の二本木に新築され「白川県庁」と称していた。明治9年2月「熊本県」の改定とともに「古城」内に移転。白川公園、行幸町、出水町今(現・水前寺6丁目)と四転した。写真は東雲楼屋敷跡。さしもの名園も昔の面影はない=熊本市二本木町 撮影日:昭和34年8月19日
撮影:1959年8月
東雲楼屋敷跡 さしもの名園も昔の面影はない=熊本市二本木町
東雲楼玄関 不夜城も今は昔=熊本市二本木町
撮影:1959年8月
東雲楼玄関 不夜城も今は昔=熊本市二本木町
東雲楼の建物=熊本市二本木町
撮影:1955年6月
東雲楼の建物=熊本市二本木町
東雲楼の玄関=熊本市二本木町
撮影:1955年6月
東雲楼の玄関=熊本市二本木町
朽ちた東雲楼跡 玄関付近=熊本市二本木町 撮影日:昭和39年05月26日
撮影:1964年5月
朽ちた東雲楼跡 玄関付近=熊本市二本木町
東雲楼跡=熊本市二本木町 撮影日:昭和39年07月00日
撮影:1964年6月
東雲楼跡=熊本市二本木町